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小人閑居するんだから不善をなさねばならぬ

『小人閑居為不善』
「しょうじん、かんきょして、ふぜんをなす」と読む。
「四書五経」のうちの「大学」に書かれているもの。
凡人が暇になるとろくなことをしないという意味だ。

昔、愛すべき馬鹿な友達が「子供に一人部屋を与えると不良になるという意味だ」と、豪快な自説を披露して、会した一同の腹をもれなく捻じ切るほど笑わせてくれたものだが、今になって思えば、文意としてはあながち間違っていないような気もする。

冗談はともかく、外出を最小限にしている今、いかに過ごすかは現代日本人にとって重要な課題になっている(やや大げさ)。
とはいえ、これまでの過ごし方からコペルニクス的転回をしなければならないほどの大転換である。「じゃあよろしく」でできるはずもない。

こんな時だからこそ「どーせ小人だし、閑居するんだから不善をなして当然だよねー」と、普段じゃとてもできないようなことをやっていたら、沈静化した後、世の中がちょっとだけ面白くなってるんじゃないかと思うのだ。

noteに何事かを書いているような皆さんは、それだけですでに当てはまらないのだけれど、大半の人のこれまでの生活は消費ばかりに目が向いていた。
消費からコペルニクス的転回をするとなれば、やることはただ一つ「生産」だ。
「生産」というと、畑を耕してネギを育てることしか思い浮かばないから「創造」とか「創作」というべきか。
要は何かを作ってみるのが「閑居」している中ではいちばん面白いんじゃないかと思うのだ。

絵を描くなんてどうだろうか。
何を描いているのかがギリギリわかる程度に下手くそに描くという条件付きで。
何を描こうが構わない。
上手に描く必要はない。
風景を描くにしても本物みたいに描くのなら写真で事足りる。画面をキャプチャすれば終わりだ。
何を描いているのかがギリギリわかるまで下手くそに描くから面白い。

誰に見せるのでもないのだから、基礎など要らないし、基礎がなってないなどと文句を言われる筋合いもない。
反則はすべてオッケーなのである。

下手くそを追求したら、それはそれで結構難しいもの。
モン・サン=ミシェルが江ノ島に見えないようにするにはどう描けばいいか、トドとセイウチとを区別するにはどのようにするか、キリンがキリンに見える限界点はどこか。
一般的な上手さではわからない面白さがある。
小人が閑居してするロクでもないことにふさわしい。
誰にも迷惑かかわらないし。


(おまけ)
ちなみに僕は絵がうまかった亡父から「おまえは目と手が繋がってない」と何度も言われ、自分には絵が描けないもんだと思ってました。
でも、上手く描くなら写真でいいや、と考えるようになっただけで、描けるようになっちゃいました。
笑っちゃうぐらい下手なのに、なぜか周りは「上手いね」と言う。
世の中、いい加減なものです。

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