見出し画像

ネットのデマと鰯の頭

巷では相も変わらずワクチンに関するデマやら何やらが跋扈しているらしい。問題は大きいけれど、なんとも呑気なもんだなと感じてしまう。

「鰯の頭も信心から」とよく言われるけれど、僕みたいに「人を見たら泥棒と思え」体質の人間からすると、信じてしまうというのは重度の病に見える。
信じ込む人は鰯がタコでも信じる。
もしかしたら腐った玉子でも信じてしまうのかもしれない。
ある種の才能のようにすら思える。迷惑さえなければ。

結局のところ、信じるか信じないかの分水嶺には信頼度が大きく関わってくるのだろうと思うけれど、じゃあその信頼度を分けるのは一体なんなのだろう。
外見や清潔感、声の質、身振り手振り、胸ポケットからちらりと顔を覗かせているチーフの色と模様、何が分けるのか。ちょっと興味がある。
信頼度より嫌われ度が常に上回っているであろう僕には、おそらくかすりもしないところにその分かれ目はあるのだろうが。

信じてしまう(とあえて書くけれど)人も、きっと根は素直で、優しい人なんだろう。美徳が欠点になってしまう怖さというか、その隙につけ込むのが悪党の常套手段というか。それを持ってして「わきが甘い」と攻め立てるのもなんだか気の毒な気がする。

デマに惑わされない最良の手段は、人のいうことを信じないことに尽きるのだけど、それはそれで世知辛い。
世の中には本当に親切な人はいるわけだし。ただの「親切な人」との見分けがつきにくいだけで。
見分けがつかないなら、世知辛くても最初は疑ってかかる方が良いのかもしれない。
便利な世の中になった挙句、デマの広がりが抑えられないんじゃ、何がいいやら悪いやら。
鰯の頭の方が罪がないかもしれないですねえ。


(追記)
鰯の頭も信心からというのは簡単だけど、軒先に鰯をぶら下げて魔除け厄除けと信じる人は、鰯の缶詰も信じるんだろうかねえ。

ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。