見出し画像

ただいま小説執筆中につき

 5日ほど更新を怠っていたのは、いま集中して小説を書いているせいでありまして。
 1日に費やせる言葉の総量は決まっていると思っているのは、何度か書いてきた通りで、noteに記事をアップするために費やすこともケチって執筆やら設定やら、先の展開やらに力を注いでいるといたというのが、ここ5日ほどの状況でした。
 そんなこと言ってるくせに今日は良いのか?と思われるのは当然のことなんですが、飽きっぽさにかけては他の追随を許さないワタクシとしては、たまにこうして意味も価値も生産性もない最終経済的な文章も書かないとバランスが取れないわけですな。いわば健康維持のための雑文てことです。不健全な魂は健全な肉体に宿るものですし。

 執筆の方は順調とはとても言いがたい状態です。
 戦線は膠着しているというか、防戦一方というか。
 着想も構想も8割がたまでは作り込んだプロットも、どれもまあまあ面白い感じじゃないのかな、という手応えはあるんだけれど、素材が良くて、手順もわかっているからと言って、美味しく調理できるとは限らないんですねえ。ええ、単純に技術が足りないと、日々頭をかきむしってます。

 幸いと言って良いのか、うまく書けない、面白くならないのは才能の問題じゃないという一点で支えられて、まだ心は折れることもなく書き続けられてます。
 これが才能の問題だったら途方にくれて春の夕日でも眺めに河原の土手に立ち尽くしてしまうところだけれど、上手に書けないのは技術が足りないだけなので、テクを身につければ「今までなんで悩んでたわけ?」とせせら笑うぐらい簡単に書けるようになってしまうのは確かなので安心です。
 あとはその技術を見つけ、自分のものにするだけで。
 そのためには頭をかきむしりながらでも書いて体に叩き込むしかないんですが、そういう苦しさって大抵の競技選手は経験してますし、大抵の競技選手は経験的にマゾヒスティックになって行く、自分で自分を追い込んで、課題をクリアする喜びに浸るという倒錯した精神を健全な肉体に宿しているものなので、微かにそういう体質が残っている(心情はしっかり記憶している)僕にとってはどこか慣れたものだったりします。

 実際、「しかし下手だよなあ」と自分で感じながら書いているものが、何度も繰り返していると、ある時突然閃きが走るんですね。いや、正確に言えばなんの気なく別の書き方にしてみたら、突然モヤが消えて世界がくっきり見える感じです。近眼だと気がつかなくて最初にメガネをかけたときのような。
 頭の中で何度繰り返したところでそういう展開に持ち込めないのだけれど、些細なことなど気にせず、ただ「下手だなあ」という感覚だけをしつこく持って書いていると、ある瞬間にドカンと技術が降ってきます。
 オマエの言った通りやっても一向に降ってこない。そんなこともあるかもしれませんが、そういう時に神社にお参りに行っても、怪しげな壺を買ってもうまく書けるようにはならない気がします。クロスロードで悪魔と取引でもすれば、昨日までのことが嘘のように上達するかもしれないけれど。

 とまあ、そんな感じで過ごしてます。
 結局、小説の執筆って素潜りみたいなもので、意識の底に深くまで潜っていかないと書けないけれど、潜りっぱなしでもいられない。たまに浮上して息継ぎしないと次に進めない。そんな感じのものなんですねえ。
 村上春樹だったか、マラソンに似てるって言ってたけど、マラソンは肉体的にハードでも息は吸えるからなあ(でも笑っちゃうほどハードなのは間違いないです)。

ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。