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めまぐるしい3週間、「障害者」になりました。

まだ梅雨本番中だった今月10日、不整脈で入院し、3週間後の金曜日に退院して自宅に戻った。

自覚症状がまったくないまま突然、不整脈を発症し、入院当初に致死性の頻脈を起こし、集中治療室に緊急移動。本来は様々な検査を経た上で処置の方針が決められるはずだったものを、そんな悠長なことをしている余裕はないと判断されてすべて割愛。
足の付け根からカテーテルを挿入し、心臓の内側から不整脈を引き起こしている部分を焼く「アブデーション」という処置を行った。

これで健康体に戻れるわけではなく、僕の心臓は予想以上にポンコツになっていて、この後もいずれ遠くないうちにまた致死性の不整脈が襲うことになるだろうと。それらをもぐらたたきのようにカテーテルで焼くのは現実的ではないという判断で、体内に除細動器を埋め込むことになった。

一般に「AED」という名前で知られている除細動器。
テレビドラマなどでも「心室細動!」「VFです!」なんてセリフとともに「ばちん!」とやられるアレの小型版が鎖骨の下に植え込まれた。
脈拍が弱くなる「徐脈」や、ダイレクトに死に至る頻脈や不整脈、心臓が痙攣する心室細動が起きたときに、正常な状態に戻すために自動的に電気ショックを与えるようになっている。
健康体に戻せなくなっている心臓を、最低限の処置で治療し、生命の維持のためにバックアップ装置をセットしたというわけだ。

僕はあまり運命論者ではないのだけれど、今回の発作から退院までの色々な場面で幸運が作用したように思えるところがいくつもある。
発作が起きたときに一人でなかったこと、入院した後に一番危険な不整脈が出たこと、ICUに移った後、一人分だけ手術の予定に空きが出たこと、カテーテルの処置中に再び致死性の不整脈が出たものの、除細動で元に戻せたこと、その後は不整脈が出ることもなく、除細動器を埋め込むことができたこと、若いときに一度身体を作ったことが幸いして、除細動器を埋めるためのスペースが容易に確保できたこと等々。

予想もしていない病気にも関わらず(ガン家系なので、ガンに罹ることは子供の頃から覚悟している部分があった)、3週間で日常生活に戻れるまでとんとん拍子で進むとは、楽観的な僕ですら予想以上にスムーズな流れだった。

「まだ早いって言われてるんだよ」
「生かされてるってことだね」
などと言われもした。
半分は「そうかなあ」と思い、半分は「そうかもなあ」と感じている。
突然死のほとんどが僕の罹ったような症状で、そのまま亡くなってしまうからなんだそうだ。そういう意味では僕は間違いなく幸運で、幸運はたまたま起きるわけじゃないんだろうとも思う。

ともあれ新しい時代がスタートした今年、自分の誕生日の前日に思いもよらぬ病気に襲われ、たった一月の間に健常者から障害者になるとは思わなかった。
多くのことを考えるきっかけにしなければ、経験が無駄になる。
3週間の入院で考えたことを、折に触れてつらつらと書き留めて行こうと思う。

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