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スノーボードとハワイ

 ここ数日、東京でも久しぶりに氷点下を記録する寒い日が続いている。
 東京は雪にも寒さにも丸腰同然なので、襲われたらお手上げだ。
 人も建物も交通機関も防寒などには考えを巡らすことなどない、都市全体が正常性バイアスにかかっているようなところだから、たかだかマイナス1度とか2度で水道管が凍るかどうかを心配し始める始末。生まれたての子鹿だってもっと丈夫だろうにと思うほどの、見事なまでの脆弱さだ。

 今週の寒波で、東京にいながらスキー場の寒さを思い出した。ゲレンデと比べたらここ数日の寒さなど寒さのうちに入らない。
 そんな寒さの中でも、ウェアの下のインナーが汗だくになるまで滑っていたなあと、遠く過ぎた日を懐かしく思いかえしたのだった。

 30代の後半から始めたスノーボードだったが、足繁く通っていた頃は、勤めていた会社が持っていた別荘を拠点にして、同僚たちと昼は滑り、夜は酒を呑み、鍋をつつき、時には裏庭に積もった雪を掘り起こして雪中でバーベキューをしたり。とても楽しい時間だった。
 ピタッと行かなくなってからもう10年以上が経つ。
 直接の関係はないけれど、震災が一つのきっかけに——精神的な部分での遠因になった気はする。
 そうしているうちに胸にペースメーカーを埋め込んでしまったから、これから先、2度と滑ることはなくなってしまった。
 人生は予想通りには進まない。

 使う機会がなくなってしまったスノーボードは今もまだ手元にある。
 うちにあるのは、ホノルルマラソンに出るために12月のクリスマスシーズンにハワイに行った際に、向こうで買って帰ってきたもの。RIDEの安い板だったが、処分できるはずがない。

 「アイランドスノー(Island Snow)」というハワイ発のスノーボード・ブランドがある。当時はアラモアナとロイヤル・ハワイアンのショッピングセンター内にもショップがあって、僕は自分の板をロイヤル・ハワイアンのショップで買ったのだった。
 定宿にしていた隣のモアナ・サーフライダー・ホテルにボードを抱えて戻った時、顔馴染みのボーイやコンシェルジュが呆れた顔をして笑っていたのを思い出す。彼らから見ても常夏のハワイから東京へ雪遊びの道具を持ち帰ることが面白く感じたんだろう。

 書く環境を少しでも良くしたくて、多すぎる持ち物を減らそうと努力している。それはつまり僕自身の多趣味な性格を整理して「多」の字を消すことに等しい(世間で断捨離とか終活と言われているようなことでは断じてない)。
 この先、2度と使う機会は訪れないにしても、見るたびにホノルルでのことが蘇る僕の板は最後まで手元に残るような予感がする。

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 自分にとっては大した出来事ではなくても、語って聞かせると感心されたり、喜ばれたりするエピソードがある。
 特別な誰かだから起きるのではなく、そうしたエピソードは誰もが遭遇するものなんだと思う。にわか雨に降られるみたいに唐突に遭遇して、気がついた時にはエピソードは完結していたりする。
 ホノルルでスノーボードを買うのは、間違いなくそうしたエピソードの一つだったんだと思う。

 始まりから終わりまでがまるで短編小説みたいにでき過ぎた話で、作り話だと思われることも多いけれど、こういうたわいないエピソードを見逃さずにすくい取れるような自分でいたいものだと思う。

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