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ラジオには向かない声

誰にでも一つくらいは自分の中で好きになれないところがあるものだ。
僕の場合は声だ。自分の声がどうにも好きになれない。

あっちこっち破綻するのをかろうじて免れている性格も、端整とは程遠い容姿も、人生も半世紀を過ぎて、10代の頃の身体が肉襦袢を3枚重ねにしているような体型も大して気にならないのだが、声だけはもう少しどうにかならないものかと、いつも思う。

noteの投稿をいつも読ませてもらっている方がポッドキャストを始められて、ようやく「stand.fm」を知った。
最近注目されつつある音声配信のプラットホームだ。

コロナウイルスで町から人の姿が消えた4月頃、独りで自宅に篭りながら、これから何かを発信するならラジオがいちばん面白いと感じていた。
友人とのやり取りの中で、ポッドキャストはやる価値あるよねと言いつつ、自分のことを自分の口で喋る機会は来ない確信があった。
だって自分の声は、ラジオに乗せるには向いてないから。

もう遥か昔の話だけれど、大学を出て、就職活動の中でとあるFM局を受けた。誰もが知っている放送局で、志望者も膨大な人数がいたにもかかわらず、なぜか僕は合格者が10人に絞られるまで残ってしまった。

おかげでいかにも放送局らしい、ラジオ局以外では実施されないようなテストもいくつか受けることができて、良い経験になった。
ただ、何度目かの面接の時に、面接官から「君の声はラジオ向きではないね」と言われたのが、鹿肉に挟まった散弾の小さな弾のように、今も忘れることなく残っている。

端的に言えば、僕の声は抜けが悪い。
鼻の通りが悪く、しかも内にこもったような輪郭がぼやけた声で、音が前に出てこない。おまけに低音域はかすれて出ず、やや高い音で声を出そうとすると咳き込む。
滑舌はそれほど悪くないが、音が悪いのはラジオにしたら致命的だ。

元からダミ声、ハスキーヴォイスが好きで、トム・ウェイツやキース・リチャーズのような声になりたいと、タバコと酒で喉はひどいダメージを受けている。
しかも元のキーがそこそこ高めだから、彼らにようにしゃがれていても低音の響きで伝わるようなこともなく、ただ聞き取りにくいだけの声になってしまった。

「絵が描けたのなら、写真なんて撮ってなかったかも」という人は結構多い。絵を描くことに憧れつつ、馬を描いたつもりがキリンになってしまうことに呆れ、皆一様に写真に向かったわけだ(僕もその一人だったが、いまは趣味の一つとして落書きくらいはする)。

もし、僕の声が自分で嫌うような声でなかったら、文章など書いていなかったかもしれない。
それこそ中学生の頃に気の迷いで「落語家になりたい」と思ったまま、噺家になっていたかもしれない。
声も才能のうちだろうから、僕には声を使う才能はなかったということだ。

それでもやはりラジオは魅力的で、今もまだ完全には諦めていない。
自分の音声が流れることはないにしても、一人で作るより、数人で組んだ方がいいものになることはわかっている。

例えば僕はスクリプトとして短いストーリーを書き、声の良い誰かがそれを朗読する。音楽に詳しい誰かが選曲をして、編集の得意な誰かが収録をする。
ただの独り言だけが続く放送が多い中で、喋りではないものがあってもいいよなと思う。
同世代の人には「クロスオーバーイレブンのような」と一言いえば、間違いなく伝わるだろう。
作るならあんな静かなものを作りたい。


追記
クロスオーバーイレブンは、何話分かはYouTubeにも音源がアップされているので、興味のある人は聞いてみてください。
僕がまだ青年だった頃、夜になると欠かさず聞いてました。
stand.fmだと既存の楽曲は流せないらしい。
音楽なしのラジオというのも、なんだか欠落が大きすぎる感じがしますね。著作権管理の問題が難しいんだろうけど。

フルコーラスで流さなければ、ミュージシャンにとっても無料で宣伝することになって、損はないと思うんだけどなあ。音楽業界は口コミは不要と思ってるのかね。

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