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「○○の9割は」という本なんてどうしたって読む気にならない

ビジネス書と自己啓発本、そしてある種のハウツー本。
世にある書籍の中で興味も関心も一向に湧かない永遠のトップ3だ。

特に「〇〇の9割はナントカである」という例のヤツは、タイトルを見た瞬間に「ああ、また9割かよ」と胃もたれでゲップが出そうになるほど。
それでも読んだ中の9割の人はこれをありがたく読んでいるのかねえ、と社会と未来に希望など持つまいと改めて誓うのであります。

そもそも「9割」という言い方が気にくわない。
僕みたいに直情径行の沸騰型の性格だから、その場でカチンとくるだけで済むけど(概ね三歩歩くと忘れる)、粘着質の几帳面かつディテールにこだわる性格だったら、これは確率論的に9割と言っているのか、それとも統計データとして9割に言わんとする傾向があったと判断したのかと噛みつきそうだ。

もっともタイトルなどはきっと編集サイドで決めているのかもしれない(ただの想像。実態は知らない)。出版社の編集会議とかで「今度はうちでもなんとかの9割ってタイトルで本出そうよ」と相談してるのかもしれない。
いずれにしても2作目以降はすべて焼き直しか二番煎じか、看板に偽りアリの真似っこ何だろう。「adidas」を「adides」と変えてみたり、「BOSS」を「BOSE」と変えるのと大した差はない。あちらは下手くそでもパロディにしてるつもりだろうから、まだ救われるけれど。

僕の9割はやっかみと不信感で出来上がっているので、どんな内容であっても常に抜け落ちる1割に入ることになる。
そもそも何かの9割と言い切る時点で、書いた人間を信用しないし、そもそもビジネス書やら自己啓発本に書かれたことなど10割信用していない。
「書いたアンタにはそうだったかもしれないけど、俺まで一緒にするな」とか、「アンタの言ってることが本当なら、どうして世界は変わらないんだ」とか、いちゃもんをつける即応体制、臨戦体制にいつでも入れるように身構えている。
定価750円の新書を相手に取っ組み合いの喧嘩をするわけにもいかないので、普段はUFOは実在するかとか、死後の世界はあるのかといったことと同列に、「ま、そういうこともあるかもね」というスタンスでいる。

だってねえ「人生を変える5つの法則」とか言われたって(そんな本ないけど、ありそうでしょ)、たった5つの法則で成り立ってるなら、どうして人生はこんなにも複雑なんだ?と思っても不思議じゃない。
そういうのを僕は体質的にインチキくさいと思ってしまうし、それゆえに「また口当たりよく書いてあるのを読んで、その気になっちゃう人が出てくるんだろうなあ」としか感じないというわけだ。中身などもちろん読まない。だっていくらか真っ当な著者なら、きっと別のタイトルをつけるだろうし。
もっとも「世界の9割はバカである」なんて言われたら、「ようやく俺も多数派になった!」と喜ぶかもしれないけれど。

同じようなパターンに、養老先生の「バカの壁」の二番煎じがあった。
堅牢な要塞でも、監視の厳重な牢獄でもあるまいし、世界がそんなに壁だらけだったらどうするんだよと思うくらい、養老孟司の「バカの壁」が出て以降、書店の平台は壁だらけになった。
あの時は、世の中が息苦しいのは、あっちこっちに壁があるせいなのかもしれないと、真面目に思ったほどだ。

ビジネスの手法としてはヒットしたものの二番煎じをするのは王道中の王道だけど、本のタイトルぐらい類似商標みたいな真似をせずに、真面目に考えた方がいいんじゃないかと思うのだけど。
タイトル変えちゃうとそんなに売れなくなるんだろうかねえ。
中身より見かけで勝負というのは、あまりに情けない。
それでも売れたもの勝ちなんだろうな。

(追記)
「バカの壁」が出てからもう17年も経つんですねえ。あの本は本当に面白かった。今の社会を見ても「ああ、やっぱり」と感じるところも多々あるし。

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