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雨、鉄を鳴らす 4


 灰色の田舎町をバスに乗って三十分程行ったところに、その町では一番に大きな図書館がある。緑に囲まれたその場所を見上げながら、十分程歩いた山あいにある病院に私は住んで居た。併設された学校には点滴をつけたり、車椅子に乗った病弱児が、彼等にとってはありのままの姿で登校してきた。学校の敷地はそれほど広くはない。唯一の遊び場である、校庭と呼ばれる狭い中庭にはブランコが二つ、ぷらぷらと空を揺れていた。その場所に通うほとんどの子供たちはその日一日を生活するのがやっとであったから、そこに揺れるブランコが誰かの重みを感じる事もあまり多くはなかった。
私はそこに一年くらいしか居なかったと思う。発病してから入院生活は三年程経過していたが、病状が回復してきたのを期に、「学校」に通えるようになった。全校生徒そのものが小学生から高校生を合わせても30人弱しか居らず、入院しながら通っている子供がその内の20人程を占めていた。20人は朝になると、病室に迎えにきた教師と共に病院と学校を繋ぐ渡り廊下を渡り、生徒になった。運動を制限されていた生徒たちは、大きな声で走り回るというような事もなかったから、学校の中は誰もいないみたいにひっそりとしていた。
えっちゃんは私がその病院に来てはじめて声をかけてくれた人だ。背が高くて、明るく、笑顔が美しい人だった。私とえっちゃんは同い年で、同じ学年には二人の生徒しかいなかったから、すぐに仲良くなった。教室にあったギターでその年に流行った唄をうたい、先生をからかったりして笑った。
えっちゃんは時々授業をさぼった。病状の悪化とかそういったものではなくて、ただふらっとどこかへ消えてしまうのだ。授業はしばしば私一人に向けられていた。えっちゃんの行くところはいつも決まって、病院の裏にある雑木林の林道だった。大概その林道の真ん中にうずくまっていたり、寝転がっていたりした。私は最初は凄く驚いて心配もしたけれど、そのうち、毎日のように繰り返されるえっちゃんの脱獄行為に示す、大人たちのうろたえた表情にこそ、苛立ちを覚えるようになった。
 その日私は一人ぼっちで車椅子に座って、あの小さな中庭にいた。病状が少し悪化して、車椅子での登校を命じられていた。先生は途中まで私と一緒に授業をしていたけれど、えっちゃんがまたいなくなってしまったから、私を中庭へおいて「待っていてね」の言葉もなく、すんなりとどこかへ消えてしまった。だから私は気がつくと中庭に一人でいた。中庭と校舎をつなぐ引き戸には段差があった。その日は降りないように言われていた車椅子から降りて、なんとか車椅子を教室の中に入れようとしたけれど、萎えた身体ではびくともしなかった。歩いて行こうと思えばふらつきながらだって、どこかに行けたはずだけれど、私にはどこにも行くべきところがなかった。
 ぼんやりと立ち尽くしていると、誰もいないはずの中庭のブランコにそのおばさんがいた。いつの間に忍び込んだのだろう。学校の敷地には入れないはずだ。おばさんはそんなこと、なんにも気にしていないみたいに至極当たり前にそこにいた。
 おばさんと話をするようになったのは、この病院に来てから一ヶ月と少し経ってからの事だった。おばさんはお腹にできた黒い丸を取るために、「入院して退院して、入院して」を、頻繁に繰り返しているということだった。その黒いものはどんどんとおばさんのお腹を侵略していて、だからおばさんはいつもそのお腹を守るみたいにゆっくりゆっくりと歩いていた。
私はおばさんが好きだった。おばさんのお腹を侵略している黒いものを撫でるときのおばさんが、とても愛おしかった。おばさんはきっと、その黒いのと一緒になってその身体を遊んでいるのだと思った。それは赤ん坊がいるお腹とは違う。全然違う。赤ん坊とお母さんの身体は二つあるけれど、あくまでも二つであって、それぞれに人間として在ろうと蠢いて、それはそれでいて神秘なのかもしれないけれど、私自身は今ここに在るから、或は、子供だからなのかもしれないけれど、その神秘にはいまいちピンと来なくて、けれどおばさんのお腹の黒とおばさんはきっと、その身体と呼ばれるものの中でとても強い力で、ぐにゃりとやったり、するっと伸びたり、それはそれは、はちゃめちゃに、身体を身体で無くそうと、身体が身体であらんがために、おばさんはただのおばさんではなくてその黒によって動かされ、黒は黒じゃなくておばさんだからこそ導かれるんだと、そう思った。
そう思うとおばさんはすごく痩せていて、毎日どんどんと痩せて、怖いくらいに陥没していたけれど、どこかの教祖様のように荘厳で、愛おしかった。
 おばさんは私をみつけると、いつものようにおいで、おいでと呼んだ。

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