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私たちが’気づき’と呼ぶものの正体

2回目から重いタイトル、ごめんなさい。
アメブロの延長でやっているので
いかんせん文章が自分よがり。
読みにくければすみません...><

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気づきというのは
瞑想やヨガの世界でよく言われることですが
なぜそこまで大切なのでしょうか。

そもそも「気づく」と「教わる」の
違いとはなんでしょう。

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例えば、足の使い方を学んだとして
自分の中に出てくる考えはこんな感じですね。

教わる場合は…
⇒「足をこう使うのが正しい方法(らしい)」
気づく場合は…
⇒「足をこう使うとしっかりと立てるのか(発見)」

同じことを学んでいますから
情報としては価値は一緒です。
しかし、それらがもたらす
あなたへの影響は全く違います。

具体的に言うと、
生きた知恵になるかどうか、です。

人に教わる知識の場合、
日常で呼び起こすのは非常に難しいのです。

なぜなら脳は様々に情報を処理しており、
全ての情報を覚えておけないからです。

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まるでベルトコンベアのように流れてくる情報は
時間とともに消し去られていきます。

しかし、自分の気づきにより手に入れた情報は
あなたの意識下に残り
必要なときには呼び起されます。

あ、この時ってこうだったな、
と。

「気づき」とは、
あなたの中にいるもう一人のあなたが
長い観察を続けたときに訪れるものであり、
そのもう一人の自分から教わった時
私たちはそれを「気づき」と呼びます。

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気づくには、アクションが必要です。
アクションとは、
「体を動かす」という意味ではなく
「能動的」という意味です。

あなた自身が能動的であること。

やってみて
探してみて
続けてみて
初めて「気づき」が訪れます。

その気づきの積み重ねが
オリジナルなあなたを作るのではないでしょうか。

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note2つ目の記事は
今日は画像を入れることに成功しました。
イツカはnoteレベルが1上がった。
慣れるまでには時間がかかりそうです。(笑)

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