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マインドフルイーティングの感想「脳はとっても優しいことに気付いた」


感想をいただきました。
この方は、高校生から続く食欲の悩みが
40代になられた今でも収まらないとのことでした。
4か月のマインドフルイーティングの実践を通して
どんな変化をお持ちになったのかご紹介します。

‐‐‐‐‐‐振り返って‐‐‐‐‐‐

昔の日記を読み返していて、
いかに私は「マイルール」で自分の食生活含め、
生活全般をコントロールしようと
していたのかということを知って愕然とした。

ものすごいこだわりとコントロールが上手くいかないことの繰り返しで、
謎なマイルールだけが日々更新されていく。

自分ではそれを「トライアンドエラー」
で進化していると本気で思っていたのだけど、
そもそも机上の空論で、出来ないことを無意識には分かっていながら、
でも一体どうしていいのかわからなくて
仕方なくルール化していたのだから、
ストレスが溜まること以外の何物でもなかった。

そこに「今」は無かったし、
頭だけがしっかりしなきゃって優位で、
感覚も、感情も、意識も、体調も、
何もかもを無視していた。

そのときは、私の頭は先生で
「良いですか、今日からこんなルールを作りましたよ。従うように。」
って言う。

体が「今日は疲れてるの、ゆっくり寝させて。」と言っても
頭は「トレーニング終わってないやん!」って言う。

心が「美味しいもの食べたいなー。」と言っても
頭は「どの不健康な体が美味しいもの食べたいって?図々しい、お前は決められたもんだけ食っとけ。」って言う。

心も体も頭の奴隷だった。

でも、この4ヶ月で、実は脳はとっても優しいことに気付いた
脳は自分一人で頑張らなきゃって、とんでもない方向に猪突猛進していた。

散歩とかきれいな景色とかで脳が洗われると、頭の中がクリアーになって心が満たされる。
心が満たされると幸せな気持ちで心身の状態は安定するし体の声に耳を澄ますことが出来るようになる。

この三者の関係を外側からの私の意識が観察していて、時々声を掛けてくる。

最初っからお散歩で脳が洗われた訳ではなく、
セッションを重ねて気付いていたようで、

気付いていなかった色んなことに向かい合い、
自分自身で確かめることを地道にしてきたから
少しずつ運動の強迫からリラックスへと
シフトされてきたんじゃないかと思う。

もちろん、上手くいくことばかりじゃない。

まだまだ不安で、変な感覚になったり、怖くて制限したり、
外部情報を見ては自分は全然ダメだって思ったりもする。

だけど、自分自身で気付きがあって、
ふと立ち止まり、
考える、
感じる、
確かめる、
ということが少しずつだけれど出来てきている気がする。

「拘る」ことと
「どちらでも自分の意思で選択できる」ことと
「どうでも良い」ことの
違いも全くわからなかったけれど、
今はどちらでも、自分の意思で選択できるし、して良いんだってわかる。

今、私は自らの意思で、治るための自分の感覚を取り戻そうとしている途中じゃないかとおもう。

嗜好品の食べ方とかまだまだ模索中だし、感覚を確かめている途中。
やっぱりダメにしている食べ物もある。
それも少しずつ緩めたりやっぱりやめてみたり、繰り返して自分で確かめている。

ずっとカウンセリングを受けたり
どこかの料理教室に行ったりしたら、
そこの先生の思想が100%になった。

先生の真似をしたら幸せになれる、
先生の真似をしたら健康になれるって。
でも、松尾さんは思想を出さないので
私が自分で自分の感覚に
違和感がないかを感じて気付くしかない。

依存できない。

それが私にはすごく大切なことだった。

まだ道半ばだけれど、
自分の感じる力を信じて、
これからも過ごしたい。

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感想をありがとうございます。

食べるという人間の基本的欲求に基づいた欲望が
なぜここまで人を苦しめてしまうのか。
・思考フィルター
・選択基準
・情報
・身体感覚の鋭敏さ
このような複雑な思考と身体の関わりがあり、
現代では食べるという行為が
こんなにも難しくなってしまうのだと改めて感じています。

’ものすごいこだわりとコントロールが上手くいかないことの繰り返しで、
謎なマイルールだけが日々更新されていく。’

これは食べるに悩む方によくある傾向だと思います。

ルールを設け

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そして自分で自分自身にジャッジをする。

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自分を完全なる支配下に置こうとしてしまう。

どうにか自分にマルを作ってあげたいのに
設定する目標が自分には無理なものばかりだから
繰り返せば繰り返すほどにダメが増えてしまって。

私たちは一人一人、
今までの人生の経験によって作られた フィルターがあります。

心理学的には色眼鏡、 という言い方をします。
この色眼鏡といわれるものには いくつか種類があるのですが
その一つに「べき思考」があります。

「自分はこうあるべき」
「こうしなければいけない」

それに完璧主義が合わさり、できるできないに関わらず
脳がそれを命令して 自分の行動を支配下に 置こうとするんですね。
しかし、 感想でも書かれているように、
脳と心は必ずしも一致するわけではありません。

賢い脳がどんなにそれを訴えても
心がついていけない時があります。

味覚は私たちが日常で 楽しめる娯楽の一つですし、
血糖値の問題で 食べたくなることもありますし、
ストレスがかかれば 無心になりたいこともあります。

しかし、私たち現代人はどうしても 知識を正義としがちです。

正しい、正しくない、 で物事を捉えてしまい、
正しくない自分、を 受け入れることが困難になりがちです。

しかし、そんな時だからこそ、情報に惑わされないために
自分の心とすり合わせる技術、
自分の心がどう感じるかを確かめる能力を
持っておく必要があるのではないかなと思います。

’ずっとカウンセリングを受けたりどこかの料理教室に行ったりしたら、
そこの先生の思想が100%になった。

先生の真似をしたら幸せになれる、
先生の真似をしたら健康になれるって。

でも、松尾さんは思想を出さないので
私が自分で自分の感覚に
違和感がないかを感じて気付くしかない。
依存できない。

それが私にはすごく大切なことだった。’

私、一つ自分でルールを決めていて、自分の食事の写真をアップしません。SNSでもメルマガでも。

「食材の形が見えるものを選びましょう」

という伝え方はしますが
○○の食材がいい、
△△の栄養素が良い、
ということは発信しません。

というのも、自分自身もその情報をうけとり、
そうじゃないといけないと食べ物ルールに苛まれて来たからです。

だから、私の発信した情報が原因で
「松尾さんがいっていたからこうこれがいいんだ」
「こうしなければいけないんだ」
というような受け取りにだけはしたくなくて
食事の情報はアップしてきませんでした。

マインドフルイーティングは、自分教だと思っています。

自分の中に信じられる「もう一人の自分」を作ってあげること。

感想にもあったように
自分の心がこうしたいといっているのに頭がそれを否定し、
ダメ、こうしなさいと自分を抑えつけたら
その方の中に葛藤が生まれて
心の行き場がなくなってしまうと思うんです。

マインドフルイーティングで作るのは、そんなもう一人の自分との和解

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自分自身が苦しんでいても
その葛藤を受け入れて苦しみを共にしてあげる。
そんな信じれる自分作り。

だから自分教。

私が食べているものとか、私にとって良かったものは
私事情でしかなく

その方にはその方の事情があるわけで
それは自分で探していかないといけないと思うんです。

でも、私はその方の自分の声を聞く術を持っていません。

だから、その方自身が、
自分で耳を澄まして聞いてあげないといけない。

そして、それを私にも分かち合っていただく。

私がお伝えできることは推測でしかないけれどでも
自分一人だと新しい視点や道を考えることが難しいから
「それってどんな感じ?」
「こういう考え方もできるんじゃない?」

そんな風にして自分の中に信じられる自分を
作ってあげることではないかなと思います。

’今、私は自らの意思で、
治るための自分の感覚を取り戻そうとしている
途中じゃないかとおもう。’

食べると付き合うのが難しいのは、
完全排除という結論では解決にならないから。
その距離感を自分の中で見つけることが、
解決を難しくさせていると感じます。

でも、食欲と向き合うときに一番勇気のいることは
自分の足で進むと決めることだと思っています。

足の裏は痛いし、
どんなものがあるか分からないし、
もしかしたらガラスを踏んでしまって痛いかもしれません。

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でも、それでも私たちは自分で進むしかないから。

焦らずに、自分と向き合っていきましょう。

皆様の食欲が穏やかで
自分を満たすものでありますように。


食欲のご相談、協会へのお問い合わせはこちら
>https://life-meditation.com/contact/

まだ読まれていない方は
拙著ですがこちらを読んでみてください。
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