【甲】むかしのはなし/三浦しをん

この本は、今「昔話」が生まれるとしたら、をコンセプトに7つの短編が収録されたもので、その名の通り、7編には「かぐや姫」や「桃太郎」といった昔話がそれぞれ割り当てられている。(以下参照)

「ラブレス」……かぐや姫
「ロケットの思い出」……花咲か爺
「ディスタンス」……天女の羽衣
「入江は緑」……浦島太郎
「たどりつくまで」……鉢かづき
「花」……猿婿入り
「懐かしき川べりの町の物語せよ」……桃太郎

これら7つの話を読み終えて、まず思ったのはよくできてるなあ、ということ。めちゃめちゃ薄い感想なのはわかっているので、ちゃんと理由を大まかに3つに分けて説明する。

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一つめの理由は、本当に関連付ける気があるのかないのかよくわからないくらいの各話と昔話の結び付きの緩さにある。話だけ読まされて、これはなんの昔話がテーマでしょう、と言われてもたぶん分からないが、言われれば確かにそうだな、となるくらい。これが考察の余地をうまい具合に作り出していて、人と話したくなるような面白みになっている。まあそもそも、この本の本題は、昔話を現代風に解釈するとかいうことではなくて、今「昔話」が生まれるとしたら、なので割り当てられた昔話と関連性があるのかないのかはそこまで重要ではないのかもしれないが。

二つめは、これは解説にも書かれているが全編、誰かに語りかけるかたちで進むことだ。物語の主人公たちは自分に起こった出来事をときには刑務所、ときには病院、ときにはもう飛び立ったロケットで、事細かに語る。あるいは日記をつける形式の話もあるが、それもいつか日記を見るかもしれない誰かに向けてだったり、観葉植物に語って聞かせるための下書きだったりする。これが何を意味するかというと、まず語られた相手にとっては主人公たちの人生も、昔こういう人がいたなあ、という「むかしのはなし」にいずれ変わっていくこと。それから彼らの物語がなにかしらの媒体で残り、のちに誰かが知る可能性ができること。
こうして一連の作品群に「むかしむかし、あるところに、、、」で語られそうな昔話っぽさ、が与えられてやっと、今「昔話」が生まれるなら、がどういうことかわかってくる。読み進めるにつれてなんとなくコンセプトを理解したときはえ~~~すごって思いました。

三つめは、一番大きな要素なのだけど、地球はあと数か月隕石がぶつかって人類は滅亡するけど1000万人だけロケットに乗って宇宙に逃げられるよ、という設定がすべての話で共通していることだ。
設定が共通している、というか読み進めるうちに全部の話が同じ世界線で描かれていることに気づく。「入江は緑」にて明かされるこの設定だが、読み返すと序盤の話でも地球に隕石がぶつかる、みたいなのがとても分かりやすく比喩とかで使われていた(これも解説に書いてあった)。一見突拍子もないように見えるこの世界観は、二つめで言ったこと以上にこの本を「むかしのはなし」にするのに重要な仕掛けになっている。突拍子もないとは言ったが、ジャンルがジャンルなら多少の差分はあれどありきたりな状況設定ではあるし、そうなったらどうする、というのを一度は考えたことのある人も少なくないと思う。だからこそ、読者はその先の「未来」を想像しやすい。結局隕石がぶつかったのかは分からないが、ロケットに乗った人の話があるので、人類の希望を乗せた船が、不確かな未来に漕ぎ出したことは確かだ。そうして地球で起こった「今」の出来事はすべて「むかしのはなし」になった。未来の提示によって「今」を過去に追いやるというのも、なんでそんな構成考えつくの??って感じ。すごいね。あと登場人物どうしがたまにちょっとずつ関係してるのもあ!?ってなった。

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地球が滅亡しちゃう!!みたいなことが本当に起きても、たぶん私はいつも通り生活して、いつもより少しだけ周りの人を大切にしようとして、ギリギリまでTwitterとか見てて、気づかないうちに死んじゃってんだろうな。宇宙に逃げられるロケットがあったってたぶん乗員には選ばれないし、「この人は離せない」って思われたりもしないだろう。よくあるSFみたいに、ヒーローが地球を救ってくれても、知らないままで、なんだかんだ滅亡しないじゃん(笑)とか言ってまた普通に生活するんだろうな。モモちゃんが言ってたみたいに、隕石なんか来なくても人間どうせいつかは死ぬのに、そんなふうにしか思えない人生でいいのかな。別にいいんだろうな、私が良ければ。まあでも、日記くらいは頑張ってみようかな。

2019/10

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