躊躇せずに触れて、抱きしめればよかった。
3月31日火曜日。朝早くに鳴る電話の音で目が覚めた。
何コール鳴っていたんだろう。
重い目をこすって電話に出ようとしたら切れてしまった。
電話の相手はお母さんだった。
数日前から、
「コロナの影響は大丈夫?体調は大丈夫?」とLINEが来ていた。
スーパーに行ったらほとんどのものが売り切れていてびっくりしたことを伝えていたから、また心配しているのかな。
内心、「またか」なんて思いながら電話を折り返した。
電話に出たのはお母さんではなく、お父さんだった。
3月31日火曜日。
なんでもないいつもの日常は
お母さんが亡くなった日に変わった。
すぐにタクシーを呼んで病院に向かったけど間に合わなかった。
信じられなかった。涙も出ない。
それよりも弱々しいお父さんの方が心配で、やけに冷静だった。
会社に連絡、葬儀の準備、お母さんの友人への連絡...
初めてで何をどうしたらいいのかわからない。
でも、何もしないわけにはいかない。
今日まで淡々と進んでいたような気がする。
それでもこの5日間たくさん感じことがあったから、今の私の想いをどうしても残しておきたくてnoteを書いてる。
親が亡くなったことを、SNSに載せることは非常識かもしれない。悲しみが伝染してしまうかもしれない。
でも、母の日に"わたしのお母さん"というプロジェクトを企画するほど、私はお母さんに伝えたいことがあったのだ。
[母の日に贈るGIFTBOX‘わたしのお母さん’]
それに、クラウドファンディングという形で実施する限り、このプロジェクトはもう私だけのものじゃない。
母の日のプロジェクト"わたしのお母さん"は中止しない。
直接届けたかった全ての想いを込めて、実施する。
言い出したのは私。
だからもう一度、私から始める。
「私にとってお母さんとは、どんな存在だったか」
「今後、どんな関係でありたかったか」
想いを馳せる。
私はこの先ずっと、お母さんのことを想う度に
「もっと会いに行けばよかった」と思うだろう。
「恥ずかしがらないで、いつだって抱きしめればよかった」
「文章で返事するんじゃなくて、電話すればよかった」
「あの日、もっと優しく伝えればよかった」
「母の日のことを少しでも話していれば楽しみにしてくれたかな」
「あのカフェに連れて行ってあげたかったな」
「彼に会いたいって言ってたな」
きっと、「もっと」は尽きない。
してあげられたことはたくさんあった。
だから、私がこれからできることを考えよう。
ありきたりだけど、目の前の人を大切にしよう。
私のお母さんは、誰よりも愛のある人だった。
それ故に悩んで苦しむこともあったけど、私は証明したい。
人を愛することは素晴らしいということ。
人に優しくして、思いやりをもって行動することは、自分自身を幸せにするということ。
教えてくれたのは、お母さん。
ありがとう。
安らかに眠ってね。
目を閉じて、胸に手を当てて、いつでもあなたを想います。
*新型コロナウイルスは一切関係ありません。