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アートの本質・見ることは「眼で撫でる」こと

今回は、写真を含めたアートとは何か?について考えてみたいのですが、そもそもアートとは人間が「見る」ことで成立するものですから、まずは「見る」とはどう言うことか?から考えてみたいと思うのです。

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さて、英語では写真をstill (静止画)と言い、映画をmovie(動画)と言いますが、まさに写真も絵画もそれ自体は静止して動くことがありません。
しかし実は、それを観る人間の眼は常に動いていて、止まることがないのです。
これは自分で実験してみると分かるのですが、写真でも絵でも「一点だけ」をじっと見つめて固定しようとしても、どうしても視点が動いてしまうのです。
それでもなお、無理に視点を固定しようとしても、かなりの苦痛が伴うとともに、どうしても視点が動いてしまうのです。
これは大変に不思議なことですが、われわれ人間の眼は、たとえ静止した風景を眺めている時であっても、常に「動いて」いるのです。
この眼の動きは人間の意図とは関係なく、全くの無自覚で起きますから、普通では全く気づくことがないのです。
そんなふうに常に目が動いていて目が回ったりしないのは、うまい具合に脳で調整しているものと思われます。

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それではなぜそんなふうに、人間の眼は常に動いているのか?
それを私は「見ることは撫でること」だと解釈しているのです。
人間に視覚の他に触覚を備えていますが、例えば自分の手のひらで触ったものの表面が、スベスベしているのかザラザラしているのか、手を動かして撫でなければ判別できないのです。
人間はさまざまなものを手で触り、そして撫でることによって、表面がどのような性質なのかを認識します。
つまり撫でることで手の触覚に「変化」が生じ、その「変化」によって対象物の性質を知ることができるのです。
そして同じように人間の眼も固定したままでは何も見えず、「動かす」ことによってはじめて「見る」ことが可能になるのです。
つまり、人間は手で撫でるように目を動かしてものを見て、世界を見ているのです。
言い方を変えると人間の眼は目を動かすことでその内側に映る「網膜像」変化させ、その「変化」によって「視覚」を成立させているのです。

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つまりその意味で、人間の眼はビデオカメラで撮る映像とは全く原理が異なるのです。
ビデオカメラの映像は、手ぶれによって画面が揺れると非常に見辛くなってしまい、そのため最近のスマホを含むビデオカメラには「手ぶれ補正装置」が備わっているのです。
これは人間の眼が見るために常に「手ぶれ」を起こしているのとは対象物的だと言えます。
つまりビデオカメラの映像はあくまで「人間が見ること」を前提に作られており、その映像が手ぶれしてしまっては見えづらくなるのは当たり前だと言えるのです。

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さて、今回の「見ることは撫でること」という認識は、写真や絵画にとっての「構図とは何か?」と大いに関係がありますので、次回はそれについて考えてみたいと思います。