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江戸の浮世絵が「写真」に影響を与えた

「近代」とは、18世紀後半からイギリスで起きた産業革命以降の時代を指しますが、その第一の特徴は「スピード」だと言えます。

力織機の銅版画(1835年)*Wikipediaより

産業革命により生み出された工業機械は手作業をはるかに上回るスピードでものを生産し、鉄道など交通網の発達により人々は馬よりはるかに速いスピードで移動するようになりました。

それと共にイギリスでは名誉革命が起き、フランスではフランス革命が起き、そのようにして社会構造の変化のスピードも急激に加速してきたのです。

ジャン=レオン・ジェローム『灰色の枢機卿』(1873年)

ところが近代初期のヨーロッパ絵画は、世の中の変化にすぐには対応できず、前近代的で伝統的スタイルの絵画が描き続けられていました。

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一方、同時代の日本は江戸末期で、産業革命こそ起きていませんでしたが、日本独自の「近代化」がなされていて、ヨーロッパに先駆けて「市民社会」が成立し、「市民文化」も発達する中で「絵画のスピード化」もいち早く達成されていたのです。

『北斎漫画・三編』より(1818年)

先の投稿でも述べましたが、ヨーロッパに最初にもたらされた浮世絵は葛飾北斎の『北斎漫画』でしたが、そこにはスピード感あふれる見事な筆致で、さまざまな動物や人物などの「動き」がスピード感をもって描写されており、これを発見したブラックモンはじめとした当時のアーティストたちは衝撃を受けたのです。

そしてそれに触発され、ヨーロッパ絵画の近代化=スピード化が試みられるようになったのです。

クロード・モネ『印象・日の出』(1872年)

つまり近代絵画の先駆けである印象派は、何よりもスピード重視の絵画であり、ですから粗いタッチで素早く描き、屋外に出かけてその場で直接描き、移りゆく時間の「瞬間」を描こうとしたのです。

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その印象派の名前が世間の人々に知られるようになったのは、1879年にパリで開かれた「第一回印象派展」がきっかけですが、実はその40年も前の1839年に「写真」が既に発明されていました。

ナダールによるモネの肖像写真(1899年)

発明されたばかりの写真は、手描きより遥かに早いスピードで「精密な写実描写」を得ることができましたが、一方で露光時間が数分〜数十分もかかり、撮影から現像まで相当な手間がかかりましたから、浮世絵が持つ「スピード」をダイレクトに表現できないでいました。

ですから黎明期の写真は、ヨーロッパ絵画の伝統を引き継いで、静的なポーズ肖像や、静的な場面としての風景が撮影されたのです。

*ピクトリアリズム写真の例
アルフレッド・スティーグリッツ『網の修理』(1894年)

さらに印象派絵画の影響を受けて、あえて収差の大きなソフトフォーカスレンズを使ったり、レンズの代わりにピンホールを使って撮影する「ピクトリアリズム(絵画主義)」写真も流行しました。

つまり、印象派絵画は「写真」の発明をきっかけにして、浮世絵のスピード感を取り入れることで発生した近代絵画の一形態ですが、一方で「写真」はスピードの面で絵画に遅れを取って、その後追いをしている状態だったのです。

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ところが写真の技術が進歩すると、状況が一変します。

ごく単純に整理すると、写真は黎明期の「ダゲレオタイプ」から「湿板」「乾板」「フィルム」へと進歩してきました。

そしてダゲレオタイプと湿板は、感度が低くて露光時間が長いことに加えて、撮影したその場ですぐに現像する必要があったのです。

湿板写真の現像用暗室を備えた馬車(1855年)

ですから基本的に撮影は現像設備を併設したスタジオで行わなければならず、旅行先で撮影する場合はカメラはもちろん暗室ごと馬車などに乗せて移動する必要がありました。

しかし湿板にかわって登場した乾板は感度が高く速いシャッター速度で撮影でき、現像もその場でする必要がなく、カメラだけを持ち歩けるようになったのです。

この乾板は支持体がガラスだったので重く嵩張るのが欠点だったのですが、その支持体を軽量の軟質樹脂に置き換えたのが「フィルム」なのです。

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ですから写真は湿板から乾板へと置き換わる頃に、絵画の伝統から解き放たれ、スピードを取り入れるようになったのです。

アルフレッド・スティーグリッツ『三等船室』(1915年)

写真にスピードの概念を取り入れた最初の人は、アメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツで、だから彼は「近代写真の父」と呼ばれているのです。

スティーグリッツは初めはピクトリアリズム写真を撮っていましたが、写真は近代絵画の後追いをするのではなく、写真そのものを独自に近代化しなければならないとし、スピード化を意識し、それを押し進めたのです。

それでスティーグリッツグリは静的で変わらない自然の風景ではなく、動的に移り変わる都市生活の一瞬を切り取り、「現代」という時間のリアリティを表現したのです。

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1924年に発売された最初のライカ「Leica A」
レンズを縮めて収納する機構を備え、上着のポケットや女性用バックの中にも収納できる。

写真が乾板からフィルムが主流になると、カメラはさらに小型化され、1924年にドイツで「ライカ」が発売されます。

ライカはそれまでのカメラに比較して画期的に小型軽量で、先鋭なレンズと精密な機構によってあらゆる条件での撮影が可能で、しかも自動化が進んでいて誰でも簡単に綺麗な写真が撮影できるのです。

アンリ・カルチェ・ブレッソン(1972年)

そしてこのライカの登場によって、写真のスピード化はさらに加速し、その特徴を十二分に活かした写真家としてアンリ・カルチェ・ブレッソンが登場します。

アンリ・カルティエ=ブレッソン「サン=ラザール駅裏」(1932年)

ブレッソンを有名にしたのは1952年に出版された『決定的瞬間』と言う写真集ですが、これには1932年から52年にかけてライカを使って撮影された写真が収められていました。

そしてまさに『決定的瞬間』という言葉にこそ、近代的なスピードの概念が端的に表されているのです。

つまり簡単におさらいすると、近代以前のヨーロッパ絵画は権力者がその正統性を示すための「特別な場面」が描かれ、それは永続性のある「静止した時間」の表現でもありました。

しかし近代になって絶対的権力が打倒され市民社会が成立すると、何気ない日常の「決定的瞬間」が、表現としての希少性を持つようになるのです。

そして実に、近代的な「決定的瞬間」の表現はヨーロッパに先駆けて日本の浮世絵が実現していたのは、冒頭に述べた通りです。

ですからブレッソンを始めとする近代写真は基本的に浮世絵の影響を大きく受けており、その意味で浮世絵の末裔であり、近代絵画や現代アートとは兄弟の間柄だと言えるのです。

と言うわけで次回は浮世絵と写真の代表として、葛飾北斎とアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品を比較検証してみたいと思います。