見出し画像

写真の発明者は動画も発明していた⁈


前回は、動画(映画)の技術は写真の技術の応用で、それを考えると「写真」の方が先ですが、しかし写真の発明以前に「残像現象」を利用したアニメーション装置が発明されており、その意味で「動画」の方が先である、というお話をしました。

しかし今回はまたちょっと別の観点から、「写真」と「動画」の歴史について考えてみたいと思います。

ニセフォール・ニエプスによって撮影された写真
「ル・グラの窓からの眺め」(1826〜1827年ごろ)

世界で最初に「写真」の撮影に成功したのはフランス人の発明家ニセフォール・ニエプスで、1824年だったと言われています。

ところがニエプスが開発した写真術は撮影に半日ほどかかる非実用的なものでした。

ニエプスと共同研究し、世界初の「実用写真術」を開発した
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール

そこで更なる研究を続けていたところ、同じく写真の研究を志していたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと言う人と知り合い、共同研究を始めます。

ところが志し半ばでニエプスが亡くなってしまい、ダゲールはその遺志を引き継い研究を続けます。

そしてついに「実用写真術」の開発に成功し、1839年にフランス科学アカデミーを通じて大々的に発表し、そこから本格的な「写真」の歴史が始まったのです。

****

ダゲールが写真発明以前に運営していた「ジオラマ劇場」の図面。
透過式巨大スクリーン2枚と、回転式座席の他、様々な装置を備えていた。

さて、このダゲールという人物ですが、写真の研究を始める前は独自の映像装置である「ジオラマ劇場」の発明者で、かつ運営者でもありました。

このジオラマ劇場は、巨大なスクリーンを備え、その表面と裏面に別々の絵が描かれており、照明によって絵が変化して見える、と言う当時としては画期的な装置でした。

さらに回転式の観客席を備え、二つのスクリーンを交互に見せることにより、さまざまに「変化する絵」を楽しんでもらうことができたのです。

ダゲールがジオラマ劇場のために、カメラオブスキュラを使って描いた絵画

ジオラマ劇場が見せたのは、例えば朝の風景が昼になり夜に移り変ったり、あるいは教会の建物が火事になって焼け落ちたり、そのあまりのリアルさに当時の観客は熱狂したのです。

そう考えるとダゲールのジオラマ劇場は、後の時代の「映画館」の先駆形態であり、その意味で「動画」の先駆形態でもあったのです。

ともかくジオラマ劇場は娯楽に飢えていた新興市民たちに大人気でしたが、あるとき火事で焼け落ちてしまい、ダゲールは多額の保険金を手にします。

そしてそれを資金にして心機一転「写真」の研究を始めたのです。

実はダゲールはもともとは「画家」で、ジオラマ劇場のスクリーンにも自分で絵を描いており、そために描画道具としての「カメラ」(カメラオブスキュラ)を使用していたのです。

そしてそこからカメラオブスキュラのスクリーンに映る映像を、化学的に定着させる「写真術」の研究をしようという発想が生まれたのです。

以上のような経緯を見ると、ダゲールは確かに「写真」の発明者ではありますが、それ以前には「変化する絵画」を独自に開発していた人だったのです。

もちろんダゲールの「変化する絵」は原理が異なるため「動画」の直接的な祖先とは言えません。

しかしジオラマ劇場が観客に見せたイリュージョンは後の「映画館」に相当するものだったし、その後ダゲールが開発に成功した「写真術」は直接的に「動画」に影響を与えたのです。

ですから「写真」と「動画」の関係を起源に遡って考えると、実に複雑で奇妙な因縁を感じざるを得ないのです。