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★ 子供を守ることとは見えない何かにかける力のこと

★ 子供を守ることとは見えない何かにかける力のこと


子供を守ることの『守る』とは何かをシリーズ?で配信しております。

前回の記事では
『守る』その答えは自分で考える他ないと言いました。

それを言われると『それはそうなんでしょうが、難しいから悩んでいる』と言われるかもしれません。
本当にそうで、考えてはいるが答えがでないから悩んでいますもんね。


考えて答えを出す。とても難しいですが、難しいけど、
それでも考えて答えを出すことの意味が私はとても大切だと思っています。

というのも。


考えても答えが出ないから、守ることの『守る』の正解が知りたくなる。母親として子供をどう守ればいいのかと、正解を探すのですが、正解を探すのではなく
確実なものを探すのでもなく
傾向的な数字に頼るのでもなく

自分の感覚や自身の全てをかけて答えを出すところに
自分が生きている感覚を取り戻せる事と、取り戻すことで少しの自信につながり
自分で出した答えだからこそ、生きる意味を見出せていくんだと思うのです。そしてその母親の姿が、実は子供を守ることにも繋がっているのではないかと思うのです。


例えば、誰かが出した答えをそのまま自身の答えとするなら、それは母親が生きていない。自分が活かされていない。だから生きている感覚が取り戻せなくなる。考えて考えて考え抜いたからこそ出た答えは、それが例え、誰かの答えだと同じだとしても、その考え抜いたプロセスと、考え抜いたからこそ出た答えは、自分そのものだから、自分が生きてきます。だから守る意味が他と例え違っていても、それがあなたの母親としての守りの意味になる。


例えば、分かれ道があって、その先のことは誰にも分からない。
分からないから不安になって、誰かにどちらの道が幸せにつながっているのか聞きたい。どちらが私にとっての正解なのかを聞きたい。ある人に聞くと『右だ!』という。ある人に聞くと『左だ!』と、意見が分かれた。

意見が分かれたから
次に、ネットで情報を調べると
また同じように『右だ!』と書かれていた。

しかしもう一度調べると『左だ!』と書かれている。
その理由を読むと、どちらも納得する内容だった。

じゃ、右の数字と左の数字を比べてみて考えようと調べた結果、僅差で左となった。

では僅差の左を選ぶのか?
それとも、右の道を選ぶのか?
はたまたどちらの道も選ばずに、今の位置で立ち止まるのか?

これでもやっぱり迷うのです。
決めれないのです。

なぜ迷い決めらないのかは、選ぶ基準が自分にないからです。
だからどの道に行けばいいのか分からなくなる。

分からないからまた、別の人を探したり、違う情報を探すのですが、それぞれ言ってることが違うから選択できなくなる。じゃまた、どうすればいいのかと答えが出ないサイクルになるのです。


つまり、選ぶ基準は見えない何かに自分がかけれるかなのです。守りで言うと守る意味なんて誰にも分からないが分からないけど私の守るはこれだ!というこれだ!に自分がかけれるかです。

先程の例で言うと『私は右に行く』と言えるかどうか。見えない道の先に見え自分がかけれるかどうかです。

例えば、右にかける!と何かにかけれるのは、自身の感覚や直感、洞察力、周りの情報を収集した中で、さらに独自の考えから生まれた答えは、あなたの答えなのです。

見えない何かにかけれることは、誰にも何も分からないことだが、私の守りは◯◯だと思うと守りの意味を見出せるとも言えます。

意味を見出せるのは、自身の基準を持つこと、基準とはこれは見えない何かを信じることができるかどうかです。それが正解なのか不正解なのかなんてことは関係ありません。またそれが結果的に正解だと感じるならいいでしょう。不正解だと感じるならまた見えない力を信じて見出せるのか、それが生きることで大切な事なのです。

見えない何かを信じる先に個性があり
この個性を生きているというのが
私は◯◯にかける!と、この感覚を信じて進むというものだと思うんです。だから人生は選択の連続とは言いますが、見えない何かにかけることは個性的に生きる道とも言えます。その母親の個性が子供に伝わればどんな選択だとしても母親の守りになるのではないでしょうか。


世の中とても便利になって
私たちの生活はかなり快適になりました。

快適になった一番の理由は、インターネットの普及とも言えます。
分からない事があればネット検索すれば、答えを教えてくれます。(大切なことは答えはありませんが)しかし、逆にネットの普及が個性を潰してしまうことにもなるのです。

ある料理を作りたいと思った。しかし作り方が分からないから
ネットで検索した。そうすれば、作り方が書いてあった。
そのまま作ったらとても美味しい料理になった。

便利な世の中に生きる恩恵だと思います。

ただ、その便利な世の中の恩恵とともに
忘れていた母親の味がなくなりつつあるとも言えます。(母親の味が個性と捉えてください)

その母親の味があってこそ
母親は生きていると感じるのではないでしょうか。母親の味を思い出すのも、家庭料理に母親の存在、個性があったからです。

母親の家庭料理と言われているものには、母親の中にレシピがあったとしても、それは母親の中であって、人に教えられるものではないのです。そしてその母親の味は母親は見えない何かを信じて、これが私の味と言えるから母親の味になる。そしてそれが母親の個性へと繋がるのです。

その味に守られて家庭があるとも言えます。

例えば、ある息子が田舎から東京に就職したとします。息子は急に母親が作った肉じゃがが食べたくなった。これは息子の中に母親の味があり、その母親の味がこの息子の守りにもなっていることを表していると言えます。

ネット検索で作った料理は料理でいいのですが、そこに母親の何かがあってこそ、母親が存在する。なければただの食事になってしまうのです。つまり、母親が考える子供を守ることの意味は、基準なんて外部にはなく、あなたがこれだと見えない何かを信じる力が生まれた時それが守りの意味になるのです。


『これがお母さんの料理だね!』と子供が言ってくれるのは、お母さんの存在を感じるかはです。つまり、子供を守ることは『私は◯◯だと思う!』と、何かの誰かのものではなく、見えない何かを信じた力が守りになるのです。見えない何かを信じている力は、子供からすればお母さんの存在を感じれることになるのです。お母さんの味が家庭を守るのと同じ原理です。

子供を守ること。
それは、家庭料理と同じで『これがお母さん味よ!』『これお母さんの味だね!』と言えること。

『これが私の守りです!』と言えるかどうか。
見えない何か見えない感覚を信じる力が、子供を守ることにつながると言えます。

これがお母さんだよ!と言える力が守る力だとも言えそうですね。


いとうゆうじでした。

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