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noteを休んでいました

お気楽なことばかりを書いてきたblogにも、ちょっとしたことをたまにつぶやくtwitterにも、記録や仕事の参考で習慣化しているinstagramにも、どこにもハマらないけど書き置きたいと思ったことを残す場所としてこのnoteを選んだのに。

しかし、ここのところずっと休んでいた。

ここに残すのは、高齢の実チチのこと、高齢の義理ハハのこと。

近くにいて世話していると、正直ストレスがたまるけど、案外、発見も多い。新しい親と子、姑と嫁の関係性が日々、スクラップアンドビルド。普遍と思い込んでいた関係性が、変化し続けるから、これは書き留めておきたいなと思っていた。

書くならば、正直に、そして、楽しく。愚痴もあるけど、おもしろいと思ったこともある、みたいなイメージで。

そんな感じで続けていたけど、

まずは私自身の体調が悪くなった。気持ちが沈むことがでてきて(疲れか更年期か?、両方か?)、仕事を減らし、実チチとの接触も減らすことにした。

父への毎日の生存確認コールは、そもそもやると言っていた兄に、私の体調を理由に託した。

父と兄は仲良くないし、お互いに相手に期待する同士だから、うまくはいってないが、毎日の生存確認コールはなんとか続いている。

毎日のコールをやめたが、父の家には月2回ペースで通い、家事のあれやこれやをこなしている。毎日コールしていた時は私は自分の限界を越えていたのかもしれない。たまに行ってこなす家事は楽しくやっている。以前は義務的だったのに。

一方、隣のマンションの最上階に一人暮らしをしている義理ハハは、元気で好き勝手にお金を使いまくって優雅に暮らしていたが、春すぎから体調がよくないことが増えた。noteを休んでいる間に入退院を繰り返し、今もまた再入院をしている。

最初の入院後、体重が30キロ台になり、骨と皮のような体になり、その上、食べないから、体力もなく一日中寝ていたり、ぼーっとしていたり。頭に血も行かないため、ボケも進行。病気というより、今はその状態を解消するための入院をしている。栄養を入れつつ、リハビリで運動をしているので、少し復調しているものの、これからを考えると課題は山積みだ。

実チチは変わったと思う。そして私も。毎回訪問するたびに、親子の形は変わり続いているように感じている。きっとこれからもそうだ。

義理ハハも変わった。根本的なポップで明るい個性は顕在だけど、わからないこと忘れることが増えて、時折すべてを人に委ねるようなことがある。私が、私が、と、なんでも率先して目立つポジションに出たがっていた彼女がだ。そんな彼女と向き合うには、こちらも変わるしかなく、やはりここでも姑と嫁の形は変わり、そしてこれからも変わり続けると思う。

高齢者は、体力もなくなり、さまざまなことができなくなり、記憶を失い、忘れることも多くて、と、後退していくものと思われるけど、目の前にいる二人を見ていると、そうでもない。

確かに失っているものは目に見えて明らかなんだけど、もういらないものを捨ててシンプルになっていって、大事な部分だけ残っていくんじゃないかなと感じる。何が残るんだろうか、が、私は気になって仕方がないのだ。

二人とも、もういつ死んでもいいと思っていて、しかし死ぬのは容易くない生きるのはなかなか辛くて大変と笑う。そんな話をして笑える彼らのしぶとさ、たくましさが眩しい。いままでの人生の楽しかったことや後悔や、残りの人生をどう過ごす、など。ぽつぽつと見え隠れするものを拾うと、こういう人だったんだ、と、いまさらながらわかったり。一方で、結局は理解できないことも多かったり。

正直、お世話は面倒くさいことてんこ盛りだ。時間も労力もとられまくる。気持ちをガリガリっとそがれて、心がざらつくころもある。

しかし、私は実チチと義理ハハのお世話をさせてもらうことにした。

してあげるんでなく。させてもらう。

その先に何があるんだかは、全然、わかんないし、何もないかもしれないけど。

親子も嫁姑も、できるのは、今だけだし、かな。

そんな今をここにまた書きおきたいと思ってる。

また高齢者がいつ体調おかしくして書けなくなるかはわからないけど、誰かのためでなく自分のためにここを使わせていただく気持ちで。

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