見出し画像

まだ1年も経ってないのに

昨年の母の日の義理ハハのことを綴ったnoteを読み返して、ちょっと哀しくなっていた

義理ハハに花束を贈ったという話で(→81歳にもなると、大抵のものは持ってると言う)、この記事を書いた9ヶ月前には義理ハハはひとりで普通に暮らしていたが、夏から入退院を繰り返し、もう体力も気力も他も落ちてしまい、とてもひとりでは暮らせないまでになってしまった。

歳を重ねると心に感動が少なくなって、感情的な波も若い頃より大きくないから、年月や時間の流れを早く感じるというけど、義理ハハはそれ以上に、自分で時間を早めているように感じる。

昨年の夏、最初に入院をした時、彼女は退院が決まったと告げると、家に帰れる!と喜んでいたけど、「じゃあ、帰る前にちょうどいいから言っておくわ」と、いくつか遺言のような伝言を聞くことになった。

・死んだら、たくさんある着物の分け方と行く先

・死んだら、あらゆる場所にお金をしまっていたが、正直わからなくなったから見つけて欲しいということ

・今年できないから、来年以降、お誕生日会はもっと派手にやる

義理ハハは気まぐれなので言うことや気持ちがちょいちょい変わるから、話半分に聞いていたけど、まだらにボケてしまった現在では、もう聞けない話になり、他の兄弟・嫁には今、伝えている。亡くなってからでは遅いような気がして。

当時の義理ハハは、面会に行くと(その頃はコロナ禍で制限がありながらも個室なのもあり、一部の家族がひとりづつなら病室に行き、面会可能だった)、さまざまな昔話が1時間以上ノンストップ。正直なところ、義理ハハは自慢話と悪口が好きな人なので内容はあまり楽しい話ではない。自慢の「すごいでしょう!」に「すごいね」か、どろどろ流れる悪口に「もういいんじゃないかな」と諌めるくらいしかないのだ。

とはいえ、個室で退屈もしているし、おしゃべりする元気は大事だから、だいたい1時間は話半分で話させておいていた。

ただ入院が数週間と長引くと、同じ話を繰り返すようになり「それ聞いたかも」というと、「話したっけ?」となり、入院するとボケますよ、とお医者さんが言った意味がちょっとわかったり。しかし、繰り返す話も聞いた聞いたと遮ってしまうよくないかなとも思い、それからは前にも聞いたかもと言いつつも、それでそれで?と思う存分、再放送させておいた。時には「どうしたと思う?」とクイズ形式が入ったり、ある部分が盛られてたり、逆に表現がいまいち足りなかったり。そんなことにオイオイと心の中でツッコみつつ、「すごいね」「もういいんじゃないかな」を言う毎日だった。

嫁になって20ウン年、毎日、そんなに義理ハハと話したのは初めてだった。

再放送にうんざりしていたのは事実だけど、今思えば、もうそんなに会話ができないのだなと、ちょっと哀しくなる。

先日、一時退院&帰宅してきた時に、好きな花を飾ってのだけど、きれいねと言いつつも、位置が気になった様子で、重くて持てない花瓶を持ち上げて動かそうとして息子たちに危ない危ないと止められていた。その後は、一度も彼女の目の中には入ることがなかった。花を飾ると何度も何度も見てはきれいねと喜んでいた彼女だったけど、動きも感情もゆるやかになり、目の前のことだけにしか集中できないように彼女は変わっていた。

自分の誕生日を派手にお祝いしてきた義理ハハ。体力が落ちてきているとはいえ、大病しているわけではないので、誕生日は今年もこれからも来ると思う。でも本人が「みんなで贅沢外食ね!」と言っていたお祝い会は難しそうだ。

義理ハハに入院のことや治療のこと、いろいろ話しても、その時は通じても忘れたり、もうどうせわからないよな、と諦めたくなる近頃。

でももし家に帰って来ることがあるなら、私はやっぱり花を飾りたいと思う。わかってくれるといいなと願いながら。いやわからなくても傍らにお花は置かなくちゃなと思う。花の似合う派手な義理ハハだから。

今になると、彼女の話すどろんどろんの垂れ流しのひどい悪口でさえも、話してくれないかなぁって思う。再放送、大いに結構で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?