物語と現実の狭間。〜モノを書くときの私的手順〜後編

前編で台本を書き上げるまで繰り返す妄想の日々まで書かせて頂きました。こちらからご覧ください
https://note.com/itoumi/n/nbfac7c8fbdb5

皆さんも想像、妄想することってありますよね?人の頭の中を覗かせてもらった事がないので測れないのですが、この「精度」の差が創作活動、表現活動をする上で大きな現実の差になって出てくるな、と実感しています。

この力が備わっていると、

メリットとしては
「より実体験に近い擬似体験できるから相手の気持ちも理解しやすい」

デメリットは
「ぼんやりしている時間が増えて側から見ると何にもしていないような不真面目な人に見られやすい」

思慮深いというか、脳内での可動力がすこぶる良い人って普段の生活においてはあまり評価されません。

表向きの人間界って「真面目」「努力」「結果」が実際の目に映る形で表せないと「この人ダメな人」というレッテルを貼られてしまうので。
我々、何事も「数値化」の元に生きてますから大変です。
講演会やプレゼンでもそうですが、相手を納得させるツールとして、分析されているから、間違いないという演出をする為の「数値化」が為されます。
目に見える棒グラフや、円グラフ、折れ線グラフが多用され、どうしようもないこじつけであっても、「なんだか説得力ある感」満載になって雄弁になれたりするのです。だから私はこういう講演が大嫌い。語れよ!言葉で説得せいや。と思ってしまう。このツールは最終手段やで。留めに刺すくらいのデータならまだしも。

もちろん、研究などに於いては過去のデータと照らし合わせたりする事も大切ですし、意味のある数値化、図式化、は存在しています。



なぜこんな話をするかというと、



こと表現者に関しては、
このような日常刷り込まれている感覚が命取りになるのだ、という事を
今回お話し出来たらと思っているからです。

まずは「予定調和」と「突飛な発想」は紙一重、というところから始めたいと思います。

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