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歴史に残る自画像と先生6年目突入の戒めの巻

この夏、itotokiは絵画造形教室の子どもたちと一緒に「自画像」を制作しました。「自画像」は、絵画制作定番のテーマですが、もしかしたら、今回の作品は、新しい自画像として歴史に残るものとなるかもしれません。

今般、生活に大きな影響を及ぼしている新型コロナウイルス。対応策として新しい生活様式が打ち出され、その一つとして、マスクを着用することが求められています。そんな中で描かれたマスク姿の自画像は、社会情勢が反映した新しい自画像と言えるでしょう。

(itotokiによるデモ作品)

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でも、絵画造形教室では、新しい表現に盛り上がるかといえばそうではなかったのです。そもそもマスクが受け入れがたい存在だったようでした。

レッスンを実施した8月の段階では、子どもたちは新しい生活様式に慣れていない上、猛暑で、マスクは異物でしかありませんでした。マスク姿を描くと伝えた時の反応は、「自分の顔でもないのに、なぜ?」というもので、手応えが感じられませんでした。

急遽、マスク着用について説明を加えました。
飛沫感染の仕組みを簡単に伝え、口から出る飛沫を少しでも抑えるために、マスクを着けている。これは、他人を大切にする思いやりなのだよ、と。

話しながら、今回のマスク姿の自画像は、子どもが社会の一員として新型コロナウイルスと対峙している事を描くもので、これは、社会参加の端緒を記録するものと言えるのではないか、などと、ひとり感慨に耽っていました。

レッスンの時間も終盤になり、子どもたちのマスク姿の自画像が仕上がりました。作品には、制作日と署名を入れました。新しい自画像を記念するために。

ー後日ー

その後、note用の文章を書きながら、このレッスンを反芻し続けていました。
どこかひっかりがあったからです。

ひっかかりの正体、その①
マスク着用を「他人を大切にする思いやり」などという情に訴えた話はする必要はありませんでした。ナイーブな子どもたちへ間違った刷り込みになりかねません。

ひっかかりの正体、その②
子どもたちが、自分で情報を得た上で行動を選択するということができないことを全く考えずに、子どもたちのマスク着用を社会参加の端緒と捉えてしまったことは、危うい考え方でした。自分の正義を振りかざした全体主義にも繋がりかねません。

絵画造形教室の先生も6年目に入りました。多少でも慣れてくると、先生風を吹かせて何か余計なことを言ってしまうようです。itotokiは先生を名乗ってはいますが、子どもたちのことは小さな友達と思っています。以降、戒めとします。

ー(参考)これまでの自画像などー
【ヘッダー】
左:水彩による自画像(2016?)
中:マスク姿の自画像(2020) 
右:木炭による変顔自画像(2019)

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左:高校3年生の時の自画像 、右:生徒による先生像

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itotoki小学1年生の一学期に描いた自画像と手形
残念ながら日付がわかりませんが、初夏の頃だと思われます。

スキャン 13 2_生活団 (1)

現存する最も古い自画像 6歳前のかなり夢見がちな自画像・・・当然、髪に”おリボン”はついていない。(自画像部分を拡大加工しています)



2020.10.16 ヘッダー画像変更、画像1枚追加(小学1年生の時に描いた自画像)
2020.10.19 画像1枚追加(6歳前に描いた自画像)








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