DAY312 故郷という荒ぶるDNA。
今日テレビ(ローカル)で、地元の秋祭りの特集をやっていた。司会の天津木村さんが観光大使を務めているからということで、天津さんとアンダーエイジの多聞さんが、それぞれふたつの神社の神輿を担いでいた。
天津さんが担いでた神輿は山田八幡宮で、多聞さんが担いでたのが大杉神社。この2つの神社の例大祭が、計3日間開催される。
わたしは子どもの頃、大杉神社のすぐそばに住んでいた。そこは遊び場であり、家で何か嫌なことがあったときのサードプレイス的な場所でもあった。大杉神社はわたしの心の拠り所だったのだ。
先日地元に行ったとき、大杉神社が本来あった場所に立ち寄った。海に程近い場所にあった大杉神社は震災で流され、お宮は高台に引っ越した。でもやっぱり、『ここ』だな、と感じたのだった。
テレビ越しに観る、暴れる神輿。その後ろを一緒に走る、漁師の子供たちである旗持ちたち。祭りを盛り上げる神楽、虎舞、剣舞、鹿踊、八木節、他にもいろいろ。
掛け声、笛や太鼓の祭囃子、衣裳、そのすべてに心が震える。
あぁ、わたしのDNAはここにあるんだな、と思った。そして、祭りが好きというより、神様と繋がって遊ぶ時間が好きだったのかもしれないな、と。
小学校高学年から中学まで、友人と一緒に神楽の舞い手をやっていたことがある。朝から晩まで地下足袋で踊り続け、正直しんどかったのだが、今思えばとても良い経験だった。
大人になり、帰省して秋祭りを観ていたときのこと。それまで虎舞を観ても何も感じなかったわたしが、急に虎舞のストーリーを把握して、感動して泣いたことがあった。
それ以来地元の秋祭りは、わたしにとってめっちゃ泣けるものになってしまったようで、今日も天津さんや多聞さんが神輿を担いでいる映像が流れ始めるや否や、嗚咽クラスで号泣したのだった。
厳かで静かな祭りも、美しくて好きだ。
でも、おぞましいほどに神様が暴れまくる地元の祭りは、ほんっとにハチャメチャで!それが最高に楽しかったのだ。
魂の解放!という感じのエネルギー。
わたしの根源、DNAは、この暴れる神輿みたいな存在なのかもしれなくて。
そりゃあ漁師町で生まれ育ったし、そもそもこの町に生まれることを自分で決めてきたわけだから、勿論そうなのかもしれないけれども。
なんというか
わたしの中の神輿が暴れたがっている!
という感覚。
これがもしサインなのだとしたら、わたしの中にある『荒ぶる神』を、解放させてあげるときなのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?