DAY279 自分の中から〈が〉を消すこと。
8月はずっと煮詰まっていた。
それは仕事というより
自分自身の人生について。
ビジネスを見つめ直したい
というかやり直したい
いや人生やり直したい
くらいの気持ちで
毎日ノートに
書いて書いて書いて
自分自身を
認めて赦して愛して
みたいなことをしつつも
いやでもやっぱり
ちゃんとやんなきゃよ!
という気持ちがせり出してきて
うっかり
ゴリゴリ系の集客コンサルに
手を出しそうになったり。
そんな中で
ブランドマネージャーの講座も
今しかねぇ!とばかりに申し込み
この半月ほど、学びに集中した。
その間も講座を受講したり
天プロにエントリーしたり
いろんな人の話を聞いて
いろんな人の考えに触れて
そして
なんもできてない自分に
落ち込みまくった。
で、今どうかというと。
胃腸がぶっ壊れた。
胃痛胃もたれ、背中の痛みに
逆流性食道炎の症状とお便秘。
ごはんがまともに食べられませんがな。
食欲はあるのに(厄介)
でも身体は動くので
今日は奥州市の神社へ。
毎日お祈りをしながら
日高神社のお札を見るたびに
呼ばれてる気がしてて。
先に一ノ宮である
駒形神社にご挨拶してから
アメノミナカヌシさまのいらっしゃる
日高神社へ。
求める答えは
神社に向かう道の途中で
出てきていた。
わたしが良くなりたい
という〈が〉、すなわち〈我〉をなくす。
誰かを目の前にしたとき
わたしそのものに
価値があるかどうかなんて
実際どうでもよくて
いやその大前提として
すべての人には価値がある
というものがあるのだが
目の前の人のために
自分の命を使わせていただく
この意識を忘れてたんだな
と気がついた。
人間界で人間やるなら
誰かとの関わり合いは必須。
〈我〉で接すると奪ってしまうけど
〈我〉が消えたとき、愛だけが残る。
つい
誰かに認めてもらいたくなるし
褒めてほしくもなるし、
稼ぎたいとも思ってしまう。
でも
認めてもらうのも
褒めてもらうのも
稼げることも
愛を差し出すことが先。
自分の命を使わせていただいた
結果としての評価に過ぎない。
ぶっちゃけ
もう消えたい!くらいに
気持ちは落ちていたのだが
消えるのは
わたしの〈我〉だけでよくて
その意識のまま生きればいい。
と
気分転換に近所の温泉に行くと
まさかのゲリラ豪雨に遭遇。
禊ぎ感が半端ねぇよ!
気持ちはだいぶ落ち着いたけど
胃腸は相変わらず。
治らなそうなら病院いくかー
(食べれなくても元気なのが不思議)
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