見出し画像

わが愛しのスナフキン

十九ハタチの頃、理想のタイプはスナフキンだった。

寡黙で思慮深く、必要な時には良いことを言ってくれる頼りがいのある男。

念ずれば通ずることもあるようで、やがて寡黙な男子が私の目の前に現れ、もちろん恋に落ちた。
焚き火に照らし出された彼の横顔をうっとりと眺め続けたものだった。

しかし甘い時間は長くは続かなかった。わがスナフキン氏は、寡黙ではあったが寡黙なだけだったのだ。
何を話しても相槌を打つわけでもなく、素敵な言葉なぞ一度として発しなかった。
何を食べようか?といったことでさえ「何でもいいよ」または「タカヨの好きなもので」としか言わず自分の意見を出さない。

短気で勝ち気だった私がこの状態に耐えることは出来ず、別れを切り出した。
勝手に私から惚れに惚れておいて、理想のタイプではなかったとさっさと捨てたのだからスナフキン氏としては堪らなかっただろうな。

今思えば、もしかするとスナフキン氏は大変思慮深く、上っ面な名言など気恥ずかしくて言えない教養人だったのかも知れない。

そして私の好きなようにして良いなどと言う度量の広い男は以降一人も現れなかった。
逃した魚は意外と大きかったかも。
私も彼も未熟さゆえのすれ違いだったのではないだろうか?ほろ苦い思い出だ。

さて、私が大好きなスナフキン。
旅を愛し、束縛を嫌う。音楽や詩が好きで自らも作って友人のムーミンに聞かせる。

ちょっと待って!
願うことなら一生旅人でいたい。音楽や本が大好き。(創ることはできないけど)
自由を制限されるのは死んでも嫌だね!

あれ?これは私ではないか?
あこがれのスナフキンは、私の内にあったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?