見出し画像

セックスレスと人生

今日もずっと、恋愛のことで悩んでいた。
でもそろそろ、恋愛のことで頭がいっぱいになる自分とはさよならしたい。

相変わらず、仲良しの彼と付き合っている。
けれども、今の私達は見事に「レス」になってしまった。
完全に、セックスができないと言われたわけじゃない。拒絶されたわけでもない。でも、この行為への価値観が、完全に、私と彼では違うということがわかってしまった。
セックスレスである、ということを議題にあげたのは私。このテーマについて、自分の気持ちを正直に話すのはかなり勇気がいることだった。でも、話した。きちんと話せば、なにか前進するのでは?と思ったから。
確かに、私の気持ちは彼に伝わった。けれども、彼には彼の主張があった。スタイルがあった。当たり前だけど、すぐにはなにも変わらなかった。

相手のあることは、ほぼほぼ、自分の思い通りにはならない。そんな当たり前のことを、私は最近になってやっと理解しつつある。少し前の自分であれば、セックスレスに悩まされつづけることが耐えられなかっただろうし、根気強く話し合いの場を設けようともしなかったと思う。そこまでするほどの恋愛を、おそらく今までしたことがなかった。そういう意味で言えば、今の彼は私にとって「失いたくない存在」であるのだと思う。彼は私にとって、恋人であり、父親のような存在でもあり、時には息子みたいに思えることもあったり、おじいちゃんみたいにも見えたりして、なんというか、色々な種類の愛情を湧きたてられる、そして与えてもらっている相手なのだと思う。愛情、という感覚、パートナーという感覚を、私に教えてくれてありがとう、と思う。

私は彼と結婚したいのだろうか。さらに言うと、これからも恋人関係を続けたいのだろうか。というか、私の目指している人生、目指したい姿って、一体何なんだろう。

今の会社に転職する前、1年ほど前の自分は、毎日悩みながら、自分の人生をどうしたいかをよくよく考えていた。よくこのnoteにも文章を残して、自分の考えを整理しながら、葛藤していた。転職活動をしたこと、転職活動をしながら生きるためのお金を稼いだり、給付金の申請をしたりしたこと、今の会社を悩みながらも選んだこと、前の会社を捨てる決断をしたこと。あの頃は苦しかったし、1年前に自分がした決断がすべて100点満点だったとは思えないけれど、確実に言えることは、当時の自分にとって「自分をより幸せにする」ための努力と決断はできていたのだと思う。
結果、私はそこから1年ほどかけて、仕事とお金と大好きで尊敬できる恋人を手に入れることができた。どれもまだまだ磨きは必要ではあるものの、このまま流れるように月日を過ごせば、たぶん私は「それなりの幸せ」を手に入れることはできるのだと思う。そういう安定とか、安らぎとか、余裕みたいなものが、1年前の自分には欠けていて、とてつもなく欲しいものだった。なんとなく、手に入ったような気がする(もちろんお金に関しては、まだまだ欲しいけれど)。

ただ、その平凡そうに見える幸せの中にも「セックスレス」という小さな綻びが見え始めた。私はこれからの期間で少しずつ、レスを解消していきたい。というか、愛情表現にまつわるコミュニケーションを大事にしていきたい。セックスを毎回必ずする、とかそういうチープなことではなく、きちんと恋人をやりたい。パートナーという言葉に甘んずることなく、恋人もやりたい。そう思う。

そして同時に、私は「現状」に囚われることもやめたい。やめなきゃいけない。ごくごくありふれた問題であるセックスレスにここまで悩み、涙が出る原因は、セックスレスだけじゃない。たぶん、彼、という存在が、自分の中で極力完璧でないと、私が彼に酔えないからなのだと思う。私は酔っていたのだと思う。酔っていたかった。普通に、恋人関係を続けて、なにも問題なく、結婚して、子どもを産む。そういう当たり前の道を、なんにも難しいことは考えず一つずつ、進んでいく。そのためには、「酔う」必要があったのだと思う。

世の中にある、ありふれた幸せのカタチを卑下しているとか、そういう話ではない。むしろ、猪突猛進にそういう選択を迷わずにできる夫婦のことはとても羨ましい。私は違う。実を言えば、中途半端な自己顕示欲とか、達成欲とか、向上心とかそういうものを、未だに捨てきれていない。私は未だにモラトリアムの中にいて、結局のところ、そういう自分が嫌いではない。

明日仕事を辞めて、まったく違う仕事をはじめる。行きたかった留学やワーホリへ行く。本格的に芸能の仕事をはじめる。地元帰って、地元を活性化するためのなにがしをする。目的のない、放浪の旅に出る。とにかくなんでもいいのだけれど、そういうことがしたい。そういうことを、捨てたくない。しょうもなくて、子供っぽくて、夢見がちなのはわかっている。でも、私はそういう人間で、そういう自分を捨てたくない。

捨てなくないからこそ、セックスレスが辛いのだと思う。いや、捨てようとしているからこそ、なのかな。ちょっとうまく言えないのだけれど。恋愛や結婚に逃げたいと思っていたから。とっぴおしもない自分について、ひたすらに悩んで、コントロールしながら、次の行動を決める。そういうサイクルを続けることが、確かに好きなのだけれど、同時にとても嫌いだから、全部辞めて、捨てたかった。だから酔いたかった。心酔していたかった。でも、できなくなりつつある。私にとってセックスは、そういうものだから。

つまり、今の私が一番考えなくてはならないのは、色気のある下着を探すことや彼の意欲を高めるためのHOW TOなんかではなく、自分の未来のことなのだと思う。彼がどうしたいか、世間的に考えてどうするべきか、とか、そういうことではない。私の人生を、どうしていきたいか。1年前に考えて、それなりのところで止めてしまったこのテーマについて、もう一度考えよう。すぐには答えはでないかもしれないけれど、決して逃げないようにしよう。無理に綺麗な選択をする必要もない。かつてのように、一番ワクワクする方を選ぶ。ぞ。


つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?