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人間性を高めたいと思っているうちは一生高まらないという話

最近また頭の中がごちゃついてきたので、ここに書いて成仏させたい。以下、雑多な備忘録です。

昨年8月、一生一緒にいると思っていたパートナーと別れた。別れた原因は同棲や結婚に対する価値観の違いで、お互い、とても好きだったけれど、このまま一緒にいても消耗しあうだけだと思って、別れた。

その時の教訓というか、反省として、付き合っているとき、私はずっと、「彼という大きな木みたいな存在を、支えたり、見守ったり、時には寄りかかったりする日々が、これからの自分の幸せなのだ」と、思っていた。心から素直にそう思えたこともあったし、そう信じ込むことで、自分にとって不都合な現実を見ないようにしていたという部分も大きかった。彼のことで悩んだり、喜んだり、悲しんだりしていれば、時間が経つし、歳も取る。そして彼は、私という存在を決して裏切らないし、見放さないし、絶対に見捨てない。それもわかった上で、私は彼という存在に逃げていた。自分の意思とかは、二の次にしていた。

だけど、彼という存在中心の生活をまっとうできるほど私はいい子ではないし、結局のところ根本的には自我の強い人間だから、途中からバランスが取れなくなった。言い返してこないこともわかっていて、彼の弱点ばかりを責めた。可哀想なことをしていたなあと、今では非常に反省している。

だからこそ、他者を中心にして、人生を進めるのはもうしばらくやめようと思った。恋とか、愛とか、結婚とか、そういうものから離れたいと思った。無理やりにでも自分の意思とか願望とか目標とか、一人称で完結する趣味や仕事や習慣に、没頭するようにした。不器用で一点集中型の私だから、それらの「熱中作業」はすべて、すぐに目に見えた成果が出た。嬉しかったし、多少の自信にもなった。彼のことはずーーーっと引きずっていたけれど、でも、彼と一緒にいるときの自分よりも、一人になってからの自分のほうが好きになっていた。

別れてすぐ、一人でモンゴルへ旅行へ行った。大きな目的はなかったけど、日常から離れたかった。「もっと○○しなきゃいけない」「自分はこういうところがダメだ」と、猛省しながら過ごす毎日が嫌だった。失恋したことじゃなく、自分そのものとして生きるのが何となくしんどかった。生きる意味とか、よくわからないなと思った。自分にとっての幸せがよくわからないし、幸せにしたい対象もいない。未だに、仕事というものは大嫌いなまま。「なんでもできます」という顔をしながら、あらゆる仕事をそれっぽく「こなす」だけの毎日を過ごしていると、自分が大嘘つきの悪人に思えてきて、でもそれをする以外に仕事に向き合う術を知らないから、死にたくなった。死ぬ勇気はないから、とりあえず生きる。自尊心を維持するために体重を減らす。そういう感じの毎日を、180日くらい過ごした。

自分のためにしか生きていなくて、会いたい人もいなかったから、なんとなく容姿を磨いた。そうしたら少し自分に自信が出た。自分に興味をもってくれる人が少し増えたり、誰かの世間話を聞いてもあまり嫉妬しなくなった。同世代の女友達はすべて敵に思えていたけれど、今は、数人の親友にならば会えるようになった。男の人のこともしばらく怖かったけど、少しずつまた、2人きりでも遊びに行ったりできるようになった。

少しずつ自分らしさが取り戻せてきた頃、「もっとジャンプアップしたい、新しい世界を見てみたい」と欲が出てきた。そして、かねてから憧れていた留学の計画を具体化していった。仕事の合間で準備やリサーチを進めるのはなかなか大変だったし、今の仕事を手放すことへのリスクなども考えたけれど、自分の中で一番大事にしているワクワクとかドキドキとかそういう直感的なものを考えたら、今行くしかないなと思った。だから、職場には退職に意向を伝え、今年の7月からカナダの短大への留学を決めた。

そんなタイミングで、新しい彼と出会った。彼は私の容姿が、とにかく好きだと言う。普通の女の子だったらそうやって言われて嫌悪感を抱くひともいるかもしれないけれど、私は素直に嬉しかった。前のパートナーとはセックスレスで別れていて、「もう女性としては見れない」と言われ続けていた自分にとって、欠けていた部分のエネルギーがチャージされるような感覚があった。

「誰かに取られたくないから、自分と付き合ってほしい」と言われた。この言葉もやや狂気的だけど、私は嬉しかった。もともと「絶対的な存在」に理由なき憧れがある自分にとっては、宝物みたいな言葉だった。彼の熱量があまりに高いから最初は冗談かと受け流していたけれど、知り合って1ヶ月経っても2ヶ月経っても、彼の中で、私という存在は絶対的な一番(らしい)。そういう扱いを受けることに慣れていなかったせいか、余計に調子に乗ってしまった。そんなわけで、一応私は、その彼と今付き合っている。

ただ、付き合っていってわかったことは、その彼は、自分と他人の境界が、あまりわかっていない人だった。「俺に依存してほしい」「休みの日は全部会いたい」「キミのいない休日はつまらない」そういう類の言葉をたくさん言ってくるようになった。

すこしでも向こうの期待に応えられないことがあると「俺はキミにとって、邪魔な存在なの?」「キミの人生に、俺って必要?」と責めてくる。留学を控えているなかで、恋人をつくるという決断をしたのは私。中途半端な気持ちで付き合い続けるのは彼にとって失礼なことだということは、承知している。ただ、あまり精神的に余裕のない彼と話していると、前のパートナーと一緒にいたときの自分を見ているようで、だんだんとつらくなった。昨日まで彼の家に住んでいたけれど、求められる要求がどんどん増えていったのが、窮屈になった。だから、今朝、彼の家から逃げてきた。そして、今に至る。

少し前に、確かに私は、「自分で自分の機嫌がとれる」人間になった。
自立とはまだまだほど遠いものの、他人に依存しない・期待しない術は、ある程度手に入れられたと思う。

だけども結局、ずーーーっと一人で自分に向き合い続けることはつらくなり、自分のことをわかりやすく必要としてくれる今の彼に逃げてしまった。彼のことが好きになったのではなく、彼のかけてくれる言葉や、彼の中で勝手にイメージされている「私像」を、自分のごほうびにした。ただそれだけのために、恋人になった。彼のことを全然見ていないということを隠しながら、ただ自分が気持ちよくなりたいがためだけに彼を受け入れた。ズルい人間。浅はかな人間。

愛するということ。愛されるということ。いま私が進めている恋愛ごっこの中には、その両方が欠けていると思う。それをわかっていても、彼を手放す決断がまだできないのは、自分の弱さ以外の何者でもないというか、なんか本当に、私は矛盾だらけで自分が嫌になる。

彼は、私と一緒にいることそのものが、幸せだと言った。
最初のうちは、その言葉がすごく嬉しかった。
彼が見せてくれた「死ぬまでにしたい100のリスト」に自分の名前がたくさん入っているのを見たときは涙が出た。

でも、私が実は「自分」というすごく頑固なものを持っていたり、仕事もプライベートも大事にしていたり、時には一人になりたいことがあること、そういう「私らしさ」を許容してはくれなかった。一緒にいる時間が短くなれば責められ、薄情だと言われる。結局、愛されていたわけではなくて、性愛の対象でしかなかったのかなあと思うと、虚しい気持ちになる。

や、私のほうこそ、それくらいの軽い気持ちだったか。
ただしかし、少し前まで非常に優しくしてくれていた相手が「自分の思う通りに恋人をコントロールできなくなった瞬間」に豹変したのは、本当に怖かったし、自分の人を見る目のなさに失望したりもした。

はーーーーーーーーーーーーーーー。
同世代の友人は、こんなフェーズはとっくに超えて、結婚したり出産したりしているのに。比べるべきことではないのはわかっているけど、どうしても、自分の人間性が欠如しているのでは?と思わずにはいられない。凹む。

本当に不格好ではあるけど、私は私なりに、一生懸命生きているのにな。
まあとりあえず、今の瞬間の恋愛のようなものの鬱憤はここに吐き出して終わりにするとして、夏からの留学を、なんとか充実させます。以上。

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