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物々交換 #ニュージーランドの湖畔暮らし

ニュージーランドの私たちの住む湖畔には、物々交換の文化ある。自家菜園からの収穫物や自給した卵や魚、ホームメイドの瓶詰めやスイーツをご近所同士で、配り合う。受けっとった側は、それにお返しをする。すると、またお返しが来て、それにお返しをして…と続いていく。そんなやり取りは純粋で楽しいと感じる。

今回は、住んでいるエリアを担当している配達員さんとの交流を紹介したい。

家の畑には、目立つところに背の高いバナナの木がある。一番陽当たりの良い場所を陣取り、今は5房のバナナがぶら下がる。このバナナの木は、近所では珍しいため、我が家のシグナチャー的存在となっている。

ある朝、郵便局のお兄さんが郵便物を届けてくれた際に、「バナナの葉をもらってもいい?」と聞かれた。それまで主だった会話もしたこともなかったから驚いたが、「どうぞ!」と言うと。翌日、自前の巨大なハサミを持って、背の高いバナナの木によじ登り、一枚1メートルほどの大きな葉を4,5枚切っていた。挙動が気になり、「何に使うの?」と聞いてみると、料理で使うのだという。聞けば彼はタイ出身であり、バナナの葉は、皿代わりにしたり、保存したりするのに便利なものだという話にまで会話が及んだ。東南アジアならではの、果物や野菜の下に敷いてある市場や、料理が葉で包まれている光景を思い出した。

そして次の日、「蒸して食べてね!」と、母の味なるタイの手作りのおやつを渡してくれた。それは、まるで映画「となりのトトロ」のどんぐりが入ったトトロからのプレゼントを思い出すいでたちだった。スイーツがバナナの葉で丁寧に包まれ、紐で十字に結ばれていた。葉を開けると、手のひらサイズの、求肥のようなモチモチしたおやつが入っていた。名前は不明だが、ココナッツに、香辛料の香りが重なり、これぞ東南アジア、な味がした。ほのかにバナナの葉の香りがした。

家で育てていたバナナの葉が、自家製のタイの美味しいおやつになって返ってきたのだ。

以来、彼とのご近所物語は今でも続いている。
配達途中に、バナナの木によじ登り、葉を持ち帰る姿を見かけたり(勝手に持っていって良いよ、と言ってある)またある時は、家に木を植えてみたいと言うので、一緒に根を掘り起こし、若い幹のバナナを持ち帰ってもらったこともあった。
一方で、お返しに、とタイのお菓子を作って持って来てくれる機会もあった。「Med Kanoon」という、作るのに5時間もかかるという、大層手の込んだ、小さな黄色いバナナのような見た目の菓子を持ってきてくれたこともある。

まさか郵便配達員の人とこんなに距離が縮まるとは思っていなかった。配達員と住民という関係性は玄関越しの、無機質で、決まりきったものだと思っていたからだ。サービスをする側と受ける側は事務的で、心の距離が縮まることは少ないと思う。
けれどそこに、バナナの葉という「物」とタイのお菓子という「物」のやりとりができたことにより、血が通い始めた。それは、友人でも家族でも仕事仲間でもない「ご近所コミュニティ」という新しい人間関係だった。

そんなふうに考えたら、お金が介在しないところに、より心の温まる関係と豊かさがあるのかも、という仮説が私の中に生まれた。世の中にはお金を介在したら解決できることに溢ているけれど、そうでないところに、もしかしたら別の喜びがあるのかも、と。それを何回こなせるかが、幸せのあり方の一つなのではないか。

配達員の彼とだけではなく、湖畔ネットワークでは、こんな恩返しの繰り返しが幾度となくあり、循環するやり取りを経験してきた。
自分が畑で育てたものを生かせることにも確かな喜びと手応えを感じている。そして、何より、直心の交わりのようで尊く感じるのだ。


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