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ロックダウンしてから3週間が経ちました。

ニュージーランドでは秋の始まりとともに、ロックダウンがスタートしました。田舎暮らしかつ家で夫が仕事をしている私たちの生活は、比較的大きな変化はないといえど、やはりいつでも外に車でドライブには行けなくなってしまったことや、人に気軽に「今から会えますか?」なんて連絡ができない不自由さを思うと、精神状態が変わってくるような気がしています。ロックダウンの直後、外で集ってパーティをしているなど、ルール違反をしていることへの通報が1万件を超えたという報道もある。直感的に思ったのは、人口500万人弱で、この数おびただしくないだろうか。もちろんルールを破るほうが100%悪いけど、なんだかコロナの影響で軽い監視社会みたいで寂しい世の中になってしまったなあと。「3密」ができる何気ない時間が恋しい。

なによりも、飛行機が飛ばず、6月末まで日本に帰れなくなってしまったこと(正確には飛んでいるけど、ニュージーランド航空の便は無し)、日本からの郵便物が届かなくなくなり鎖国の状況が海外在住者には一番の痛手のような気がしています。

ここまで、ネガティブな情報を並べてしまいましたが、3週間やってみたことを備忘録的にメモしようと思う。

「3食の自炊」と「お金や情報の整理整頓」をひたすら毎日してたな、と。まず、自炊ですが、夫が行う釣りと畑の魚と野菜、森からは実りの秋だからこそ、イチジクやりんご、栗や胡桃など食糧を調達しています。家ではお肉を食べないのですが、魚でお肉みたいなレシピを作るのを始めてみたり、スーパーには一度も行っていないので、結果、冷蔵庫や食料庫の大掃除になって清々しく過ごしています。(和食をベースにすれば、賞味期限の早いバターや卵、牛乳など乳製品が必要なく、スーパーへ行く頻度が格段に減ると考察。)

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魚ってミンチになるかも?と作ってみた、カウアイ(※サバとマグロを足して2で割ったような白身魚で血合いが多い魚)で、「鶏そぼろ丼」が我が家のスマッシュヒットになりました。

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あとは、さつま揚げを作ろうと思ったら、期せずしてお魚のハンバーグになったり。冷蔵庫や食料庫の食材の数は増えることなく減っていく一方なのに、新しいメニューに取り掛かることができる。料理って、「材料×調理=∞」。材料に合わせて、切る、混ぜる、茹でる、焼く、蒸す、揚げるという、そう多くはない調理法が、無限大に結果をもたらしてくれる。算数の組み合わせのパターンの「場合の数」みたい。笑。なんだか創造性が豊かになって嬉しい。

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奥から引っ張り出したパスタの手打ちマシーンで、米粉のじゃがいもジェノベーゼパスタを作りました。家のバジルとパセリ、フェンネル、胡桃をたっぷり使って。

あとは、家計簿を見直しました。なんとなくとっていたサブスクリプションを整理して、ミニマムライフコストを算出。不要なメールマガジンを解除して、もう使わなくなったアプリを削除して。アイフォンやパソコンの裏側でひっそり膨れ上がっていたつながりを切断するような気持ちで。これをひとつずつやっていたら、足場が固まって、やっと風が通り始めた気がしました。

家にずっといるということは、習慣をしっかり整える必要があるということをひしひしと感じています。

最後に「人間関係」のこと。

ある日、発酵の先生のメニューで発酵ブッタボウルを作っていて、それを見て、ピンときたのでその日の夕食に真似して作ってみたのです。冷蔵庫や食料庫にある食材を出すうちに、Gratitude が溢れて。友人のおかあさまがくれた8年ものの梅干し、お土産でいただいたこだわりの鰹節、NZの友人が作ってる有機大豆の納豆、また別の友人に習った胡麻豆腐…発酵や保存食には、人との思い出が重なりやすい。それが同じボウルに乗って、感謝の気持ちが溢れて、台所に立ちながらエモい気持ちになったのです。笑

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他にも、ご近所さんに定期的にうちでできた野菜のデリバリーをしています。そのお返しに、胡桃とか桃とかマフィンを間接的に置いておいたりしてくれて、じんわりと幸せな気分に。あとは、仲良しの友人たちと、良い記事を共有して、感じることをコメントし合って。今は大変だけど手を取り合っているということをしみじみ感じています。そこに「愛しいなぁ」という感覚が付随する。ソーシャルディスタンスを取らなければいけない中、心を一番に温めてくれるのは、人とのつながりなんだなぁ、と。人間は社会性のある生き物であることを、こんなにも強く思ったのは初めてだったかも。

残りの1週間も、時間を大切に過ごすことができますように。自戒を込めて。