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ハイタッチのある人生。息子が2歳になって思うこと。

どんな人生を送りたいのかと聞かれたら、「ハイタッチのある人生」と答えたい。それは、嬉しいとき、喜ぶとき、何かを達成したとき、祝福や気持ちを誰かと一緒に共有し合えることができたなら、それはもう幸せの形なのでは、と思うからだ。

2歳になる息子が幼稚園に行き、先生たちと挨拶代わりに「ハイファーイブ!」と言いながら、手を合わせる。
幼稚園が始まったばかりで、送りの時は緊張や寂しさでいっぱいの息子の顔から、パチン!という音がうまく鳴った時には、瞬時に笑みがこぼれ、なんだかあたたかい気持ちになった。

と同時に、こんなふうに外の世界で息子はいろんな人と触れ合って、交わっていくんだろうな、と少し寂しくもあり誇らしくなったのでした。

家にいる時も、絵を描いたとき、トイレが成功したとき、これまで出来なかったことがどんどんできるようになる年齢なこともあり、ハイタッチをする。

ハイタッチ、と聞いて思い出すのは、もうずいぶんと昔のゴシップ。
恋愛ソングをうたう女性歌手とバンドグループの男性が当時交際しているという噂があって、メディアを賑わせていたのだけど、両者が大晦日の紅白歌合戦の待ち時間に、2人がすれ違いざまに、笑顔でハイタッチ!をしたというもの。なんてラブラブで素敵なの、と当時恋もしたことない女子高生だった私は、きゅんとしたのでした。それ以来、ハイタッチが心の中で憧れだったのかもしれません。

ちなみに、「ロングバージョン」のハイタッチもある。
親しい間柄のみが行う、仲間や友情の証みたいなもので、ハイタッチの後に、こぶしタッチや、肘タッチなどいろんなジェスチャーが加わるものだ。バスケットボールや野球のスポーツ選手がしているアレ、きっと、どなたもご覧になったことがあると思います。

それになぞらえて、私たちは家族間の「オリジナル」なハイファイブをしている。夫がずいぶんと昔に留学したアメリカのシカゴ仕込み。
手を自分の肩よりも高く上げて、相手と手のひらで叩き合う、ハイファイブからはじまって、両手の親指と人差し指でハート型を作るので終えます。家族の証が嬉しかったりする。

「ハイタッチのある人生」って良いなと思う理由を深掘りすると、それは誰かと、心が通じているという確かな手応えがあるからだなと気づく。
パートナーの夫とは仕事の区切りがついた大きなことから、暮らしの中での小さなことまで、例えば野菜ができたとか、料理が美味しかったとか、喧嘩したあとの仲直りの時など、幾度となくハイタッチをしてきた。頑張った後の、打ち上げと同じだなぁと思う。

人は1人では生きられないから、誰かと喜びや嬉しさを分かち合いたい。そんなハイタッチのある人生を指針にこれからも歩んでいきたいと思っているし、息子にも、引き続き出会う人との心を通わせたハイタッチがある人生を送ってほしい、なんて思っている。