企業目的の考え方

前項において、経営理念の考え方について述べた。
本項では、実際の企業目的の作り方についてもう少し深掘りしてみたい。

自社の存在意義として本質的なものはなにか

企業目的とは、自社の存在意義のことであることは既に述べた。
では具体的に、自社にとっての「存在意義とはなにか」を発見、創造していく作業に進まなければならない。

「その」企業が存在を認められるのは、「給料を支払っています」とか「社員教育をしています」、「お客さまに感謝されています」といった枝葉の理由ではない。
そんなものは、どの会社にもあてはまるし、互換性があれば簡単に他社に乗り移られてしまう。

経営者は、自社の存在意義として「もっとも本質的なもの」を探り出さなければならない。
当然、他社に代替できない企業目的をもった企業は非常に強い。逆に、本質的な存在意義を見いだせない企業は淘汰されても仕方ない。

そうした企業目的を探り当てる際に大きなヒントになるのが「人間性」「社会性」に分ける考え方である。
つまり、「人間性」「社会性」の考え方は、企業目的の作成のための補助線なのである。人間性、社会性というのは相互に地続きなものである。

人間性について

いわゆる「社員第一主義」というものである。

人にとって「働くこと」は苦役であってはならない。
働くことで、社員自身も存在価値を認められ、自尊心を高め、成長につながるようになっていかなければならない。このように成長を遂げる社員は、家族や周辺をも幸せにしていける。
このように、社員が周りを巻き込んで成長し、羽ばたけるような未来を図示するのは、社長の責任に他ならない。

こうした効果をもたらさない社員に対する待遇は「社員第一主義」ではない。
社員をこき使うブラック企業はもちろん、社員に服従させるワンマン企業も社員自身の成長とは逆方向の施策である。
逆に、社員に迎合して、社員の言うことばかり聞く社長も「社員第一主義」ではない。「お願いですからついてきてください。なんでもしますから。」という経営者についていきたいだろうか。
責任をもって未来を提示できない会社は、社員を成長させられるはずがない。ゴールのないマラソンに先導なしに放り出すようなものである。

社会性について

いわゆる「お客様第一主義」のことである。

「お客様」(顧客)は商品やサービスを提供する相手方、のことではない。商品やサービスから顧客を定義するのは、考え方が逆である。

その企業が役に立ちたい対象、認めてもらうべき対象が「お客様」である。ここには当然に直接お金をいただくわけではない、お客様のお客様も「お客様」である。

その会社が存在することで、「お客様」をどのようにしたいのか、「お客様」をどのようにするべきなのか、社会的意義を経営者自身が提示する必要がある。

お客様に対してこうした効果をもたらさない会社は「お客様第一主義」ではない。
「お客様」を顧みない自己中心的な経営者は当然ながら淘汰されるし、逆に「お客様」に迎合して言いなりになっているだけの経営者もやはり失格の烙印を押される(三波春夫の「お客様は神様です」は当初は違う意味であった。)。

「お客様」に未来を提示できない会社は生きていけない運命にあるのである。
そう、人間性と同じ話である。それがまさに存在価値なのだから。

経済のプレイヤーとしての意義

マクロの視点でみると、企業は、経済のプレイヤーとして重要な存在意義を有している。

企業は、自分自身が経済のプレイヤーとして(ときに生産者として、ときに消費者として)不可欠な役割を持っている(企業が存在しない経済活動を想像すれば明白であろう)。

また、企業は、自分自身が経済のプレイヤーであると同時に、おなじく経済のプレイヤーである社員も育てる責任がある。

適切な報酬を支払うことで、社員は他社の製品やサービスを利用できるようになるし、他社に育てられた社員が、自社の製品をやサービスを利用してくれるのである。
このように、社員を育てることは、回り回って自社を育てることに他ならないという結論になる。人間性と社会性が地続きだというのはこの意味でもある。

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