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エースはアスペルガー症候群:日本未公開野球映画を観る(35)

A Mile in His Shoes(2011)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

農家で出会った才能

 アスペルガー症候群の若者が才能を見出されてマイナー球団に入り、エースになっていくストーリー。
 オハイオ州にあるクレイトン・リバーラッツ(架空)の監督アーサー・マーフィーは、アマチュアの有望な投手を見に行く途中、車がスタックして助けを求めた農家で若者がリンゴを投げて遊ぶのを目にし、そのスピードとコントロールに驚く。受け答えがややぎこちない彼ミッキーは、両親によるとアスペルガー症候群で、療育などのプログラムも受けたがうまくいかず、農場から出していないという。アーサーは警戒されながらもミッキーをトライアウトに誘い、後日クレイトンにやって来る。非凡な才能は明らかで、入団。チームメイトとは互いに戸惑いながらも、内野手のピーウィーが世話役となって次第に馴染み、マウンドでも結果を出す。
 しかし、ミッキーに地位を脅かされたエースのレフティ(右投手なのになぜかこう呼ばれている)は彼をよく思わず、女友達を使ってパーティーから連れ出し、一人にしたところを何者かに襲わせる(ライバルチームの選手だったことが後にわかる)。一度実家に帰ったがやはり野球を続けたいとチームに戻ったミッキーは、逮捕されたレフティに代わって優勝を決める試合に登板して勝利をもたらし、野球に反対だった父もついに認める。

王道ストーリーの現代版

 このようにシンプルで王道的なサクセスストーリーは近年のアメリカ野球映画では珍しい。舞台となるマイナーリーグの球場や雰囲気も、ちょっと前まではそこそこ残っていた素朴な風情で、チームのロゴやユニフォームもそれらしく見え、安心して観ていられるオーソドックスな野球映画だ。その主人公がアスペルガー症候群である点だけが現代的と言えるだろう。
 本作はアメリカ野球映画には珍しく原作がある。The Legend of Mickey Tusslerという2008年刊行のヤングアダルト小説で、舞台は1940年代のミルウォーキーだが、それを現代に持ってきている。原作が設定した時代にはアスペルガー症候群という概念はなく、ミッキーは周囲にずいぶん馬鹿にされたことになっているようだが、現代では理解が進んだためか、本作では周囲との軋轢はさほど激しくない。

 また、無名の逸材を発掘してプロ入りさせるという設定も定番というか古典的だが、現代ではそんな逸材がスカウト網に見出されず眠っていることはまずあり得ないので、近年の映画や小説では見られない(1994年の『スカウト』あたりまでかと思うが、見つけたのはメキシコだった)。しかし障害のため親が家から出さないならそういうこともあるかもしれないとは思えるわけで、うまく設定したと思う。

自閉症者と野球

 ただ、現実にアスペルガーや自閉症の若者が野球チームに入ってやっていけるかといえば、なかなかハードルは高そうだ。ミッキーは言葉の裏の意味や話の文脈を読んだり、たとえ話を理解するといったことが苦手なように描かれている。そういう人が、毎日長時間を一緒に過ごし、独特のカルチャーやスラングが支配して仲間内と外を分けるプロ野球チームという集団に馴染むのは難しそうで、受け入れる側の理解と配慮が相当必要だろう(それをアーサーとピーウィーがやったということになっている。ピーウィーというニックネームは、ジャッキー・ロビンソンがドジャースに入ったときキャプテンとして彼を最初に歓迎し、その後も差別から守り続けたピーウィー・リースにちなんでいると思われる)。
 また投球の力は明らかでも、臨機応変な瞬時の判断が求められる投内連携やカバーリングなどにも苦労しそうだが、数字に強くいつもテレビで試合を観てスコアをつけていたミッキーは野球の知識でカバーするということなのだろう。この習慣はスコアラーを務めるという形でチーム内に役割と居場所を確保することにもつながった。自閉症をはじめ発達障害の人にとってはやはり個人競技の方がやりやすそうだが、複雑な団体競技である野球も無理ということはないと思う。

 本作が予見したわけでもないだろうが、2018年には自閉症の診断を受けている選手が初めて(MLB傘下の)マイナーリーガーになった。ロイヤルズが契約したタリク・エラブールという、当時25歳で独立リーグにいた外野手で、彼は1シーズンだけルーキーリーグでプレーした。

 野球は他の団体競技に比べると戦闘的でなく、広い屋外で行うとか反復的な動きが多いとかすべてを数字で表すといった点で自閉症者が親しみやすいという見方もある。6歳まで言葉を発しなかったエラブールは、チームに馴染むことにはアマチュア時代から苦労したようだが、野球一筋に努力を続けたのが報われる結果になった。
 診断は受けていなくても自閉症的な傾向を持つ選手は過去にもいたと思われる。トゥレット症候群(重症のチック症)に苦しんだことで知られるジム・アイゼンライクはアスペルガーでもあったことが後にわかっているが、彼もロイヤルズでプレーした。
 エラブールのロイヤルズ入りは、この球団のOBであるレジー・サンダースの進言によるものだった。彼は弟が自閉症で、自閉症者やその家族を支援する財団を運営している。エラブールとの契約は、25歳という年齢を考えても、戦力としてというよりは社会的メッセージとしての意味が大きかったと思われる。
 メジャーリーグはこのように以前なら考えられなかったカテゴリーの人を新たに選手として迎え入れることで発展してきた。黒人、ラテンアメリカ系、アジア系と続いたエスニック・マイノリティ、さらにセクシュアル・マイノリティに門戸を開いた流れの先に、こうした障害を持つ選手の受け入れを位置づけることができるだろう。多様性は組織を強くする。

 本作もキリスト教的な価値観が前提になっており、試合前にチームで祈りを捧げたり、ミッキーが住むことになるアーサーの亡き息子の部屋で聖書を手に取ったりといったシーンがあるがその程度で、クリスチャン映画というほどではない。
 なお原作の小説には続編と続々編があり、ミッキーはメジャーまで行ったことになっているが、テレビ映画である本作の続編は製作されていない。
 また題名のA Mile in His Shoesは「彼の靴で1マイル歩いてみてから批判しろ」といった形で使われ、その人の立場に立ってみる、というようなニュアンスである。

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