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あなたがどんな姿になっても

なんだか好きなサイズで好きなようにつくったなあって最近お気に入りの詩集を眺めていた。

このへんてこなサイズ、合う透明なブックカバーがない。

表紙にもよくこだわっている。カーテンが印刷されたブックカバーは透ける良い紙で、だいたいの人はわざわざ見ないであろう本体の表紙に描かれている部屋の風景を彩っている。

そう。良い紙なのだ。水がつくとぶよぶよになって台無しになる。

すでに水をこぼして1箇所少しぶよっとしている。なのでこの大事な本にどうしてもブックカバーがしたい。

もう聞いたと思うけど、水を弾いてくれてサイズの合うブックカバー、そんなものはない。

大体の本と背の高さは同じなのに横幅がオンリーワン。私の持っている本と同じサイズのものはなかった。

人間最大の文明インターネットで調べてみた。四六版?A5?少しずつサイズが違う。


少し細長いそいつは最近ずっと私の枕の横にいる。

そして、私は寝る時3割の確率でよだれを垂らす。

もし悲劇が起こった場合、合うブックカバーがないそいつが悪いのかよだれを垂らす私が悪いのか、そこが論点になっていくだろう。



ブックカバーおつけ致しますか?

答えはノーだ。正確には、いえ…ダイジョブデス…だ。いかにも日本人らしい答えでしょう。

私は表紙を見る。

私の表紙というと私の顔なのだろうか。それはわからないが、表紙というものは中身と一体化しているようでそうでない、身近な芸術と思っている。

人の顔もそういうところがあるかもしれない。たまたまくっついてるだけなのになんとなくその人の全てを表すかのような。

当たり前だけど表紙を見ても本の全貌はわからない。でもその絵や写真や文字は本のなかの世界から取り出してきた何かだ。

その物語の空気が入っている表紙を愛している。


ここまで語っておいて、表紙の美しい例の本に合うブックカバーは、ない。


百均にも旭川の大きな文房具屋にもなかった。旭川にはないのかもしれない。旭川のことは好きだけどたまに嫌い。ごめんね。好きだよ。



結局何の収穫もないまま文房具屋にくっついてるドトールでお気に入りのミラノサンドを食べて本を読んでいる。


なんだかもうベッドサイドのあの詩集のことが恋しい

一つの本のためにスケスケのお洋服を探し回って、そういうのってなんだかもう好きってことなんだろうな〜って宇治抹茶豆乳ティーを啜ってた。

めいっぱい愛してるからよだれを垂らしてもいいような気がしてきた。




ベッドで待ってて。汚しちゃうのが怖かったんだよ。怖がってたら伝わる愛も伝わらないよね。ぶよぶよになっても愛してるよ。ぶよぶよにしてるのはお前だって?それはごめん。でもあなたであるなら形はいいよね。形は二の次だよ。それでもその可愛い顔を私に見せていてね。



愛ってこういうこと?



伊藤六

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