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2日目のカレーとか

私が恐れていることは自分らしさを失うことだ。

 冷蔵庫に1週間分の食材を買って入れておく とか 1ヶ月の中の全ての休日に予定を入れる みたいなことを想像するだけで心がシュレッダーされてハラハラと床に溢れるような気分になる。偶発的な素晴らしいものやことの機会を逃してしまう気がする。難しいことじゃなくて、「今はあれをしたいな」の気持ちを尊重したいという私のスタンスの表れがある。偏屈のように聞こえるが実際偏屈であり、笑っていいところなのかもしれない。買い物が少ないけど毎日料理するタイプの人間はかなりすごい。

 疲れた日にサラダは苦くなり、レモンが甘くなる。私は生き物で、ほしい栄養素があるし、舌も気分も違うし、同じものを食べていても同じじゃない毎日を過ごしている。何気なく過ごす毎日でも、原因不明の頭痛とか長引くタイプの風邪とかになったりしながら、時間が経って老いていく。でも、デカい鍋で煮込まれたカレーは熟成という名の進化を急速に遂げていく。カレーは生きていて、毎日おいしくなっていくし、カレーのように老いることができたら死と旨みのピークが一緒に来るのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。最近はカレーを美味しく作りすぎて2日目にはもう全然ないし、何もかもが嫌になってきた。

 ああ嫌だ嫌だ。夜はこういうことばかりだ。

 「外でカップ麺食べたら絶対おいしいよな?」に同意して、深夜、実家の重いドアを音を立てずに閉めて雪を踏みしめながら最寄りのちっさいセイコーマート行って赤いきつねを買ってお湯を入れてそこそこ大きめの公園まで運んで真っ黒の空を見たりしながらブランコに乗って食べた記憶が一回だけある。これは素晴らしい記憶でもなんでもなくて、やっぱり夜って怖いよね だった。いまも夜が怖いという認識は全く変わらなくて、夜は静かで好きと言うアーティストを見ると、夜という底知れぬ不安を飼い慣らしてるようで羨ましくなる。

 深夜を通り過ぎると早朝がくる。早朝は努力家にも眠たい人にも優しい。陽が昇ってカーテンを開けたら目が覚めて、窓を開けたら鳥が鳴いていて、どちらも閉めていれば静かでほのかに暗い。早朝の散歩、サンダルの隙間から撫ぜる草の水滴は結露とかそういうのじゃなくて大地や草木の壮大な呼吸みたいに思って、感動してしまう。理科に詳しくないこともたまにはプラスに作用する。いまは水素の実験のことを思い出して水素車が怖い。いずれみんな乗るし早急に理科も学んだほうがいいとおもう。

 私のエピソードは不安や臆病を核に生み出しているものが大部分を占めている。常に恐れている。でも何か恐れているけどそれ自体が怖いのではなくて、それを怖がっている自分が自分の意識下でコントロール出来なくなることが怖い。そして怖いという意識を乗り越えられるぐらいどうでもよくなったときに私はまた失敗エピソードを生む。深夜に起きててもいいや。眠たくなるまで好きなだけ書き連ねていいや。適当なところでぶつ切りにしていいや。転ばぬ先の杖を私の後ろに放って、どうしようもない深夜3時になったときに、私は今日と明日の狭間でカレーのように旨くなっていくのだ。だからまだもう少しだけ夜更かしをする。早朝が来るのも嫌になってきた。怖。寝ます。

 明日の朝はカレー食う。おわり


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