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サバチニ歴史夜話 タイランニサイド~シャルロット・コルデーとジャン・ポール・マラー

THE TYRANNICIDE ~ Charlotte Corday and Jean Paul Marat

 タイランニサイドとは、彼女の行為を表現するに際してアダム・ルクスにより用いられた言葉である。彼は彼女の最も崇高にして最も精神的な意味における恋人であった――なにせ彼は彼女と言葉を交わしたことは一度もなく、彼女は彼の存在を全く知らなかったので。

 その霊的なる情熱は、自らの行いの帰結として護送車に乗せられ断頭台に向かう彼女を目撃した時、突如として彼を燃え立たせたのであった。彼女は彼女なりに、彼も彼なりに、当人の内においては同じように崇高であった。共和主義という信仰に殉じた彼女の静穏なる死と、愛という信仰に殉じた彼の揚々たる死は、同じように見事なまでの無駄死にであった。

 これは間違いなく、歴史の中に刻まれた最も奇妙な恋物語といえよう。悲哀ではあるが、とはいえ死によって妨げられさえしなければという無念は残りえない。彼女が死んだがゆえに、彼は彼女を愛した。彼が彼女を愛したがゆえに、彼は死んだ。要はそれだけの話であるが、その詳細についてはこれから説明しよう。

 修道院育ちのマリー・シャルロット・コルデー・ダルモンはノルマンディの無領地貴族の娘だった。シェティヴにおける上流階級グループに属する彼女の父は生来の温和な気性の男であったが、経済的困窮に背中を押されてか、限嗣相続法や長男子相続権に反対するようになった――それは不平等の主たる原因であり、フランスを苦しめている夥しい邪悪の湧きだす源なのであった。似たような身分階級と経済状態にある多くの者たちと同様に、彼もまた最も初期の共和主義への改宗者に名を連ねたのである――純粋かつ理想的な共和主義、それは君主と貴族による支配という非生産的かつ寄生的な時代錯誤を保持しながらの、人民により制定された憲法による国民政府という無茶を要求するものであった。

 そのムッシュー・ド・コルデーから、シャルロットは後に己の命をささげることになる高尚な共和主義の教義を吸収した。そして夜明けを告げる鐘が鳴り響き、目覚めしフランスの子らが一斉に立ち上がり、傲慢なる少数の特権階級によって何世紀もの間はめられていた足かせをはずした時、彼女は歓喜した。

 革命初期の暴力のさ中、自分は過渡期に立ち会っているのだと彼女は考えていた――恐ろしい、しかしその目覚めの時には避けられぬ動乱。間もなくこのような段階は過ぎ、正気に返って、その後には彼女の夢である賢明かつ理想的な政府が誕生するだろう。必ずやそうなるはずだ。なぜなら選出された代議士の中には、少なからぬ人数の私心無き人々、彼女の父親と志を同じくするひたむきな男たちがいるのだ。生まれ育ちに恵まれ高等教育をうけた、崇高にして献身的な愛国心に駆られた男たち。徐々に集まって党派を形成するに至り、今やジロンド派と呼ばれている男たち。

 だが、ひとつの党派が結成される以上は、少なくとも更にもうひとつ、対立する党派が存在する。そして国民公会におけるその対立党派というのがジャコバン派、動機の純度はより低く、行動の節制はより乏しい派閥であり、そこで際立つ存在がロベスピエール、ダントン、そしてマラーのような、徹底し、妥協を知らぬ者たちなのであった。

 ジロンド派が共和主義を支持するものならば、ジャコバン派の支持するものは既成の権威の全否定だった。この二つの陣営の間で闘いが始まった。ジロンド派は9月虐殺の責任者としてマラーとロベスピエールを告発し、その結果として自らの失墜を早めた。マラーが意気揚々と勝ち取った無罪判決はジロンド派滅亡の前奏曲であり、それから間もなく破滅への第一歩として、二十九名のジロンド派議員を議会から追放する決議が続いたのであった。彼らはフランスを救うべく挙兵しようと志して故郷に退き、その逃亡者のうち何人かはカーンへと向かった。それから後、彼らはパンフレットと演説によって真の共和主義者の熱意を喚起すべく努力した。彼らは才に恵まれた有能な人々であり、雄弁なる演説家であり、そして熟練した文筆家であり、その努力が報われていた可能性もあった。しかしパリには彼らに負けず劣らず天与の才に恵まれ、無産階級の気性についてより確かな知識を有し、疲れをしらず激烈なペンをふるい、暴徒の激情を煽りたてる技術にたけた男がいたのである。

 その男こそジャン・ポール・マラー、元開業医、元文学教授、スコットランドのセント・アンドリュース大学の卒業生で何本かの科学論文と数多くの社会学論文の著者であり、熱心なパンフレット執筆者にして革命ジャーナリスト、『ラミ・デュ・ププル(人民の友)』の発行者兼編集者、そして民衆のアイドルであった。パリっ子たちは彼の新聞に由来するあだ名を与え、そのため彼は「人民の友」と呼ばれていた。

 このような男はジロンド派の、そして彼らが支持する純粋かつ利他的なユートピア的共和主義の敵であった。そしてマラーが生きて活動している間は、人々を感化せんとするジロンド派の努力はすべて徒労なのであった。パリのエコール=ド=メドゥサン通りにある汚らしい下宿に陣取ったこの男は、巧妙かつ邪悪なペンで織り上げた蜘蛛の巣によってジロンド派の崇高な努力を台無しにしており、彼らは遠からず息の根まで止められかねなかった。

 無論、彼は単独ではなかった。彼はダントンとロベスピエールという二人の実力者と共に恐ろしい「三頭政治」を成していた。だがジロンド派から見れば、彼は三者の中で最も手ごわく、冷酷かつ執念深い存在であった。そしてシャルロット・コルデ――彼女は今や、反革命分子として指弾されカーンに逃れてきたジロンド派の友人にして同志となっていた――にとってマラーという男は、他の二名を覆い隠すほどの巨大な闇として不気味に立ちはだかる存在であった。

 彼女の若い心に、ジロンド派によって説かれた自由という信仰への狂熱が燃え上がった。マラーは醜悪であり、危険な異端派の指導者であり、崇高な新しい信仰を堕落させようとしており、アナーキズムの信奉者であり、旧来の専制政治を打倒したのは更におぞましい別の専制政治に置き換えるのが目的なのだ、と。

 カーンにおいて、彼女はジロンドがジャコバンの穢れた手中からパリを取りもどすための挙兵に失敗するのを目のあたりにした。この失敗した企てを悲痛な思いで傍観するしかなかった彼女は、その光景の中に、自由がその誕生と同時に絞め殺されつつあるという兆候を感じとった。ジロンド派の友人たちが再び口にしたマラーという名を、かの自由の殺人者の名を、彼女はききつけた。そして陰鬱な心で、彼女はこの時期について記した手紙の一文によって具現化されている結論に達したのであった。

『マラーに命ある限り、法と人間性を支持する者にとっての安全は決してないでしょう。』

 そのネガティブな結論と等号で結ばれたポジティブかつ論理的な結論に到達するまでは、たった一歩に過ぎなかった。彼女はその一歩を踏みだしたのである。このように提示された命題を、彼女はしばし検討したのだろうか、それとも理解と同時に決意したのであろうか。彼女は大きな犠牲が必要であるのを理解した。あの汚らわしい怪物をフランスから排除する使命を引き受けた者は、自らも滅ぶ覚悟をしなければならない。彼女はその対価を穏やかにそして冷静に計算した――今や彼女のすべての行動は穏やかで冷静なのであった。

 彼女は荷物をまとめると、ある朝、カーンからパリに向かう馬車に乗り込んだ。父にあてた置き手紙にはこのように書かれていた。

『私はイングランドにいきます。だって、穏やかで幸せな生活をフランスにいながらおくれるようになるとは思えないんですもの。この手紙は出がけに置いていきますね。お父さまがこれを手になさったとき、私はもうここにはいないでしょう。天は私たちが一緒に暮らす幸せをお許しになりませんでした。他のさまざまな幸せをお許しにならなかったのと同じように。どうか私たちの祖国には、もっとお慈悲をあらわしてくださいますように。さようなら、愛するお父さま。私のかわりに妹を抱きしめてあげてね、そして私のことを忘れないで。』

 それだけだった。英国に向かったという嘘は父の心痛を和らげる意図によるものだった。彼女は自分の素性が明らかにならぬままで終わるように計画を立てていたのである。彼女は国民公会の議場にいってマラーを見つけ、衆人環視のもとで議席にいる彼を殺害するつもりだった。このようにしてパリは、マラーが腐敗させたその議会の最中に、ネメシス(義憤の女神)が偽りの共和政体に天罰を下すさまを目撃し、その怪物の死から教訓を得るだろう。自分自身については、怒り狂った傍聴人によってその場で殺害されるであろうと見込みを立てていた。このように自分は正体不明なままで死に、フランス中にマラーの死という大事件が知れわたった時、父が自分の娘を暴徒の憤激によって打ち砕かれた運命の道具と結びつけるようなことは決してないと信じたのであった。

 おわかりいただけただろうか、いかに崇高な、そしていかに恐ろしい目的から、この25歳の乙女がパリ行きの馬車に乗り込んだのかを。それは革命暦Ⅱ年目――旧来の暦でいえば1793年7月の朝のことであった。彼女は茶色のドレスを品よく着こなし、豊かな胸にはレースのフィシュー(三角スカーフ)を結び、明るい茶色の頭髪には円錐形の帽子をのせていた。長身で、均整の取れた体つき、その身ごなしは優雅であるのと同時に尊厳に満ち、すばらしい白さの肌は、同時代人から百合にたとえられていた。彼女は女神アテナのような灰色の目をしており、そしてアテナのように気品ある面立ちで、楕円形の顔はやや二乗顎で、その先端には割れ目があった。穏やかというのが彼女の気質であり、ゆっくりと動く目は穏やかであり、慎重な身のこなしも穏やかであり、そしてこのすべてに反映されている源となる精神もまた穏やかなのであった。

 そして大型の乗合馬車がカーンを離れ、平野を、それからパリへと続く道をがたがたと走る間、死を与え、死を受けとるという自分の使命についての思考すら、彼女の常なる穏やかさを揺るがすことはできなかった。荒々しい高揚もなく、熱狂によって思いついた衝動に対するヒステリックな傾倒もなかった。ここにあるのはフランスを解放し、その役割を引き受けた名誉の代償として己の命を差し出すという目的の崇高さに匹敵するだけの冷たさだった。

 更に話が進んでから登場する彼女の熱愛者は、彼女をもうひとりのフランスの聖乙女であるジャンヌ・ダルクになぞらえるという見当違いを犯している。だがジャンヌは絢爛たる大舞台で喝采を浴び、戦闘という美酒とあからさまな宗教的忘我の熱狂に酔いしれながら、勝利の喜びという目標に向かって堂々と行動し、シャルロットは自分の余命はいくばくもないのだという静かな確信とともに、息のつまるような勤勉さで静かに旅をしていた。

 馬車の同乗者たちにはシャルロットは至極普通の旅行者に見え、そのうちのひとりである審美眼をそなえた男はしきりと色目を使って彼女を悩ませ、そして2日後に馬車がヌイイ橋を渡りパリに入る前に、彼女に結婚を申し込みさえしたのであった。

 彼女はビュ・オーギュスティン通りにあるオテル・プロビダンスを宿に定めて二階の部屋をとり、それからデュペレ議員をたずねに出かけていった。彼女はカーンで親しくしていたジロンド派のバルバルーから議員あてに書いてもらった紹介状をたずさえていたのである。 デュペレは彼女が内務大臣と会見できるように助力してくれた。シャルロットは彼女がかつて世話になっていたカーンの修道院にいる友人の尼僧に関係する書類の件で大臣と面会する役目を引き受けており、自分の主目的である重要な任務に専念するために、この用件を速やかにかたづけてしまいたかったのだ。

 問い合わせにより、マラーが病気で自宅にこもっていることがすぐに判明した。これによって予定の変更が必要となり、国民公会の議場で衆人環視の中、彼に華々しい死を与えるという計画は放棄せざるをえなくなった。

 翌日の金曜日、彼女は友人である修道女の用事をかたづけることに専念した。土曜日の朝、早起きした彼女は、6時前にはパレ・ロワイヤルの涼しい庭園を散歩していた。ほとんど不自然なまでの穏やかさで、彼女は思いがけない状況の中で目的を達成する方法と手段を思案していた。

 8時近く、今日の商売を始めようとパリの店々がよろい戸を開ける頃、彼女はパレ・ロワイヤルの刃物師の店に入り、2フランを払って鮫皮のケース入りの頑丈なナイフを買いもとめた。それから宿にもどって朝食をすませると、彼女は旅行用の茶色いドレスと円錐形の帽子をかぶって再び外出し、辻馬車を呼び止めてエコール=ド=メドゥサン通りにあるマラーの家に向かった。

 しかし、そのむさ苦しい住居への立ち入りは拒絶された。 市民マラーは病気であり、訪問客を迎え入れることはできぬと告げられたのである。このメッセージで彼女の進入を阻止したのは、シモンヌ・エヴェラール――後にマラー未亡人として知られるようになる――、かのトリアンヴィール(三巨頭の一)の愛人であった。

 阻まれた彼女はオテル・ド・プロビダンスに戻り、トリアンヴィールにあて手紙をしたためた。

『パリ、革命歴第Ⅱ年7月13日。
 市民、私はカーンから参りました。祖国に対する貴方の愛から推察して、この共和国内の一部地域で起きている残念な事件をお聞きになれば、貴方はきっと憂慮なさるに違いないとの考えに至りました。ですので今日の1時、そちらさまにお邪魔させていただきたく存じます。どうか寛大に私の訪問をお許しになって、一時だけお耳を拝借させてください。貴方がフランスに大きく貢献できるように、お伝えしたいことがあるのです。
マリー・コルデー』

 その手紙をマラーの許に送ってから、彼女は午後遅くまでむなしく返事を待ちつづけた。無しのつぶてに絶望した彼女は二通目の短い手紙を書いたが、今度のものはより強引な筆致であった。

『今朝お手紙をさしあげた者です、マラー様。お受け取りいただけたのでしょうか?ほんの一時、お耳を貸していただけますでしょうか?私の手紙をご覧になっているのならば、この問題の重要性からして、私の願いを無下にはねつけたりはなさるまいと信じております。私が大変遺憾な状況にある、ということだけで、貴方の庇護を求める充分な資格があるのではないでしょうか。』

 灰色の浮き縞綿布のドレスに着がえ――平穏な生活習慣からの逸脱を一切許さぬ、このあまりにも完璧な穏やかさの更なる現出をごらんあれ――、彼女は二通目の手紙を届けるために出ていった。例のナイフを胸の上で交差しているモスリンのフィシュー(三角スカーフ)のひだに忍ばせて。

 みすぼらしいレンガ敷きの、うす暗く家具もろくにない、そのエコール=ド=メドゥサン通りにある建物の一室では、かの人民の友が風呂に浸かっていた。これは清潔好きゆえではない。なにせフランス全土を探しても、このトリアンヴィール(三巨頭の一)より不潔な身なりや生活習慣の人間など存在しないのだから。この風呂は薬湯だった。彼の肉体をむしばむ恐ろしく忌まわしい病により、活動的で飽くことを知らぬ精神をかき乱す絶え間ない痛みを鎮めるために長時間の入浴を必要としていたのである。この風呂の中にいれば、彼は身体の苦痛を誤魔化すことができた。

 マラー、すなわち知性であり、それ以上のものは無きに等しかった――少なくとも、それ以上に重要なものは無きに等しかった。胴体と四肢、そして朽ちはてるにまかせた臓器、それ以外のなにがあるだろうか。我が身を清潔に保つ意識の欠如、汚らしい住環境、好きこのんで慢性化させた睡眠不足、偏った食事を不規則にとる習慣、これらはすべて己の身体的要素に対する軽視に原因があった。この博学多才な逸材、熟達した言語学者にして高い技量を持つ医師、優秀な博物学者、学識深い心理学者は、あらゆる身体的欲求をわずらわしいものと軽視して己の知性のみで生きてきた。彼が入浴するのは、この薬湯に丸一日浸かっていれば絶え間ない痛みが消えるかやわらぐからであり、そうすれば己の人生そのものである仕事に専念できるというのが唯一の理由なのであった。

 だがしかし、長きにわたって痛めつけられた彼の肉体は、甘受させられつづけた軽視それ自体によって精神に報復した。肉体の不健全な状態は精神に伝播し、その結果として困惑するような混合物が誕生するにいたったのである。冷たくシニカルな残酷さと高揚した感性、これはその人生の終盤の日々において彼を特徴づける性質だった。

 自室の浴槽で、かの人民の友はその七月の夕方、腰を湯に浸し、頭を不潔なターバンでつつみ、やせ衰えた体に袖なしチョッキをはおった姿で座っていた。50代の彼は身体の衰えやその他もろもろの理由で死にかけており、よってシャルロットがわざわざ手を下さずとも、彼にねらいを定めた病魔と死神が前のめりで獲物を待ち受けている状態であった

 風呂の蓋は書き物机の代用として役だった。側にある空の木箱には、インクスタンド、何本かのペン、筆記用紙、そして『ラミ・デュ・ププル(人民の友)』が2〜3部入っていた。羽根ペンが紙をひっかく音と不明瞭な独り言を除けば、その部屋は無音だった。彼は自分が発行している新聞のゲラ刷りに修正を加え、編集する作業にいそしんでいたのである。

 中庭で上がった人声が執筆中の静かな部屋まで入り込み、それは原稿に没頭していた彼の内部にまで徐々に浸透して、ついには集中を乱し、いら立たせるまでになった。彼は浴槽の中で落ち着きなく身じろぎし、しばらく耳をそばだてた後、仕事のさまたげを終わらせようとして、何が起きているのかを尋ねるために耳障りなしわがれ声を上げた。

 ドアが開き、彼の愛人であり、家事雑事に追われているシモンヌが入ってきた。彼女はマラーよりも二まわり以上若く、この家での生活によって薄汚い姿になってはいたが、その外見の下には元々そなえていた魅力の名残りがうかがわれた。

「カーンからきたっていう若い娘さんなの。国家的に重要な問題で、どうしてもあなたに会わせてくれって言い張るのよ」

 どんよりした両目がカーンと聞いて燃え上がった。急激な興味の高まりがその鉛色の顔に浮かんでいた。彼の仇敵、ジロンド派が反乱を起こしたのはカーンだったではないか?

「その子が言うには」とシモンヌは続けた。「今朝、あなた宛に手紙を送って、また二通目の手紙を自分で持ってきたんですってよ。あなたは誰とも会わないって言ったんだけど……」

「その手紙をよこせ」彼はさえぎった。ペンを置くと、マラーは汚れた不格好な手を突き出して、折りたたまれた紙をシモンヌの手からひったくった。それを広げて読んだ彼の血の気のない唇はすぼめられ、その目は細くなった。

「その娘を入れろ」彼は鋭く命じ、そしてシモンヌはそれ以上なにも言わず彼に従った。彼女はシャルロットを招き入れると、彼らを二人きりにした――復讐者とその犠牲者を。しばらくの間、それぞれが互いを見つめていた。マラーが目にしているのはエレガントな服を着た端正な顔だちの若い女性だった。しかしこういった事柄は人民の友にしてみれば興味の対象外だった。彼にとって女性や美の魅惑が何だというのか?シャルロットが目にしているのは怖気をふるうほど醜悪な弱った男であり、それに対しすがすがしい満足感を得ていた。なぜならば、この忌まわしい姿は自分がこの世から消し去るために訪れた精神の下劣さの証拠と考えたからである。

 それからマラーは口をひらいた。 「カーンからきたそうだね、お嬢ちゃん?」と彼はいった。 「私と会わなければと思いつめるような、どんな事件がカーンでおきているのかな?」

 彼女は彼に近づいた。

「反乱の扇動がされているんです、市民マラー」

「反乱、ハ!」それは笑いと悪態の半ばしたような声だった。「カーンに潜伏している議員について教えてくれ。さあ、お嬢ちゃん、そいつらの名前だ」彼は身を起こすと羽根ペンをインクに浸し、それから一枚の紙を引きよせた。

 彼女はさらに近づいた。彼女はマラーのかたわらまで行き、背筋をのばして穏やかな様子で立っていた。彼女は自分の友人であるジロンド派議員たちの名前を暗唱し、その間も風呂の中で背を丸めたマラーの筆はきびきびとそれを書きとめていった。

「ギロチンは大忙しだ」彼は叫んだ。

 しかしマラーが筆を動かしている間に彼女はフィシュー(三角スカーフ)からナイフを引き抜いており、そして彼が他者の凶運について口にした時、彼自身の凶運が稲妻のごとく襲いかかったのであった。その強く若い腕によってまっすぐに繰りだされた長く丈夫な刃は、黒い柄元まで彼の胸に埋められた。

 力なくへたりこみながら彼女を見たその目には、かすかな驚きがうかんでいた。それから彼は断末魔の声を上げた。

「助けてくれ、シェール・アミ(親愛なる友よ)、たすけて!」そう叫び、そして永遠に沈黙した。

 まだペンを握ったままの手は、彼のやせ衰えた長い腕の終端で浴槽の脇の床についた。彼の体はその腕と同じ方を向いて横倒しに沈み、頭は右肩の上にぐったりと傾き、そして胸に空いた大きな傷口から噴きだした血で汚れた湯水はレンガ舗装された床にしたたり――まるでなにごとかを象徴するように――『ラミ・デュ・ププル(人民の友)』、彼の落ち着かぬ人生の多くを捧げた新聞の上に飛び散っていた。

 その叫びに応えてシモンヌがかけつけてきた。惨劇は一目瞭然であり、彼女は雌虎のごとく無抵抗な殺害者に飛びつき、その頭をつかんで押さえつけながら大声で助けをよんだ。すぐに別室から老いた料理女のジャンヌ、同じ家屋に同居している妹、マラーの新聞を折りたたむ作業を担当していたロラン・バスがやってきた。そして今やシャルロットは4人の怒り狂い大声をあげている者たちを前にしており、彼らの手によって既に覚悟していた通りの死を迎えていた可能性は高かった。

 実際、ロランは椅子をひったくると彼女の頭を一撃して昏倒させた。邪魔さえ入らなければ、彼はそのまま怒りにまかせて乱打をつづけシャルロットを死に至らしめていたであろうが、しかしジャンダルム(民兵)と地区の警察委員の到着が間にあい、彼女は逮捕連行されていったのであった。

 事件が明るみになった時、パリはこの悲劇に震撼した。夜通し、恐怖と混乱は広まっていった。夜通し、悲憤慷慨した革命政府の大衆は死せる人民の友が横たわる家の周りに押し寄せ、じっと見守り続けたのであった。

 その夜、そしてその後の二昼夜の間、アベイ監獄に収監されたシャルロット・コルデーは、革命的な監禁にともなう女性にとって屈辱的な仕打ちの数々を不屈の精神で耐えたのであった。持ち前のゆるぎない穏やかさを保ったまま、彼女は今や己が達成した目的、果たした義務について熟考するという精神状態に入っていた。私はフランスを救ったのだ、彼女はそう信じていた。自由を救ったのだ、その首を絞めていずれ死に至らしめたであろう男を殺害することによって。その幻想の中で彼女は満足していた。自分自身の命など、偉業のために払わねばならぬちっぽけな代償だった。

 残された時間のうち何割かは、友人たちへの手紙を書くために費やされた。その文中において、彼女は冷静かつ理性的に己の行動を詳細に記述し、己を駆り立てた動機について余すところなく説明していた。その記述は犯行について、その後に行われたすべてについてを、微に入り細に入って明らかにしていた。 「平穏に備える日々」――彼女はバルバルーに宛てた書簡の日付をそのように記している――の間に彼女が書いた手紙の中には、友人たちに形見を残すことができるように、自分の肖像を描いてくれる画家を派遣してくれまいかと公安委員会に懇願するものがふくまれていた。これだけである。命の終わりを目前にした彼女の行動の中で、自分自身を気遣ったもの、彼女が運命の手に握られた道具以上の何かであるという示唆が読みとれるのは、ただひとつこれのみなのである。

 15日の朝8時、革命裁判所で彼女の審議が開始された。被告人が姿をあらわした時、法廷をざわめきが走った。灰色の浮き縞綿布の服をまとって登場した彼女は、静かで穏やかだった――いつもと変わりない穏やかさだった。

 裁判は目撃者の尋問で開始された。彼女にナイフを売った刃物師の証言に至って、彼女はついに辛抱の限界に達した。

「このような細かい話は時間の無駄です。マラーを殺したのは私です」

 傍聴人たちは息をのみ、そして不穏な唸り声を発した。モンタンは彼女の尋問に入った。

「被告人のパリ訪問の目的は?」彼はたずねた。

「マラーを殺すためです」

「被告人をこの恐ろしい行為に導いた動機は?」

「彼が犯した沢山の罪です」

「被告人は如何なる罪で彼を告発しているのか?」

「彼が9月虐殺を扇動したこと。自分が独裁官に選出されるために、内戦が終わらぬように仕向けたこと。5月31日に議会で議員たちを逮捕し投獄することによって、人民の主権を侵害しようとしたことです」

「如何なる証拠にもとづいてそのような告発を?」

「これから起ころうとしていることが証拠です。マラーは自分のたくらみを愛国者の仮面に隠していました」

 モンタンは質問の矛先を変えた。

「この凶行の共犯者は?」

「共犯者はおりません」

 モンタンは首を横に振った。 「被告人が名前を明かそうとしない共謀者、あるいは共謀者たちに教唆されたのでもない限り、被告人のような年齢性別の人間がこのような犯罪を考えつけるなどという話に納得する者はいない」

 シャルロットはあやうく笑いだしそうになった。 「それは人間の心に関する理解が乏しいことを示しているにすぎません。このような計画は、他人の憎しみよりも自分自身の憎しみの強さに基づいて実行する方が容易です」そして彼女は声を張り上げて宣言した。「私は10万人を救うために1人を殺しました。罪なき人々を救うために1人の悪漢を殺しました。フランスに安息をもたらすために野蛮な獣を殺しました。私は革命前から共和主義者でした。この行動を起こすための原動力に欠けることなどありえません」

 これ以上、何をいうべきことがあるだろうか?彼女の有罪は完全に立証された。その恐れを知らぬ己の妄念への執着はゆるぎないものだった。それでも、恐怖の検察官であるフーキエ=タンヴィルはなおも試みた。彼女のたたずまいは非常に乙女らしく清純、かつ勇敢そうであり、これでは法廷が最善を尽くしてはいないと考えたのか、彼はバランスを回復するために一握りの革命的な汚物を求めた。タンヴィルはゆっくりと立ち上がった。

「被告人には何人の子供がいますか?」彼はあざけるように耳障りな声で言い、そこには侮辱、中傷の含みがあった。

 彼女の頬はうっすらと朱に染まった。しかし冷ややかに答えを返す彼女の声は沈着で軽蔑的だった。

「私は未婚です、と証言したはずですが?」

 思わせぶりな目付きと乾いた笑い声、そして肩をすくめる仕草で自分が伝えようとしていた印象を完成させると、タンヴィルは再び着席した。

 ショヴォー・ド・ラ・ガルド、彼女を担当するように指定された弁護士の番になった。だが、どんな弁護が可能だろうか?それにショヴォーは脅しを受けていた。陪審からは余計なことは何もいうなと命じる手紙を、議長からは被告は狂人であると言明せよと指示する手紙を受け取っていたのである。

 それでもショヴォーは中道をとった。彼の短い弁論はあっぱれなものであり、依頼人を損なうことなく彼の自尊心を満たした。それは事実をありのままに述べたものであった。

「被告人は、」と彼は言った、「彼女が犯した恐ろしい犯罪を穏やかに告白しています。それが計画的犯行であると穏やかに告白し、犯罪の最も恐ろしい詳細を告白しています。要するに、彼女はすべてを告白し、言い逃れをこころみてはいません。陪審員の市民諸君、これこそが彼女の抗弁なのです。この不穏なる穏やかさ、死を目前にしてさえも一切の後悔を示さない完全なる自己放棄、これは自然に反しています。これは彼女の手に凶器を握らせた政治的狂信の興奮によってのみ説明できるものであります。陪審員の市民諸君には、この倫理的な検討事項が正義の天秤の上で如何なる重みを持つのかをご判断いただきたい」

 陪審は彼女の有罪を評決し、タンヴィルは求刑するために立ち上がった。

 これで終わりだった。彼女はコンシェルジュリー監獄に、つまりはギロチンの待合室に連れて行かれた。そこに憲法派僧が派遣されてきたが、しかし彼女は丁重に固辞して引き取らせた。聖職者の助けは不要だった。それよりも、革命裁判所から許可を得て彼女が依頼した肖像画を描くためにやってきた画家、ハウワーの方が歓迎された。そしてモデルをつとめた30分ほどの間、落ち着いた態度で画家と世間話をするシャルロットの精神の静穏は、急速に迫りつつある死の恐怖によって乱されることはなかった。

 ドアが開き、死刑執行人サンソンが入室してきた。彼は殺人で有罪判決を受けた者が身に着ける赤いスモックを運んできたのであった。彼女はまったく狼狽する様子もなく、ただハウワーと過ごした時間があまりにも早く過ぎてしまったことに対するわずかな驚きを見せただけであった。彼女は短い手紙を書くために少しの猶予を懇願し、それが許可されると手早くその手紙を書き上げた。そして準備ができましたと告げると、彼女の豊かな髪を切らねばならぬサンソンのためにみずから帽子を外した。だがそれでも彼女はまず最初に絶ち落された巻き毛をひと房、記念としてハウワーに渡した。サンソンが彼女の手を縛ろうとしたとき、シャルロットは手袋をはめてもよいでしょうかと懇願した。マラーの家で縛り上げられた際に縄で手首が傷つけられたからである。貴女が望むならそうしてもよろしいが、痛まぬように拘束することができるのでそれは不要でしょうとサンソンは答えた。

「たしかにおっしゃる通りですね」と彼女は言った。「あの人たちは貴方のように経験豊富ではありませんでした」そしてそれ以上の異は唱えずに素手を差し出した。 「たとえ死出の旅支度を整えるのが粗野な手であろうと」彼女は評した。「不滅の魂が住まう世界まで導いてくれることだけは間違いないのですし」

 彼女は刑務所の庭で待機していた囚人運搬用の荷馬車に乗り込むと、サンソンに勧められた椅子を固辞して立ったままで、ひるむことなく暴徒たちの目に我が身をさらし、彼らの怒りに雄々しく立ち向かった。その憤激はたしかにすさまじいものだった。街路に人々が密集していたために荷馬車はのろのろと這うように進み、そこに押し寄せた群衆は命数の尽きた女性に向けて口々に死ねと叫び侮辱を浴びせた。プラス・デ・ラ・レヴォリュシオン(革命広場)に到着するまでには2時間を要し、その間にパリは夏の激しい雷雨にみまわれ、群衆でごったがえした通りには豪雨が降り注いだ。シャルロットの衣服はずぶぬれになり、赤いスモックは彼女の肢体に皮膚のようにぴったりと張りついてその彫刻のような美しさを際立たせ、鮮やかな深紅の布からの照り返しによって彼女の頬はほのかに染まり、かようにして既に十全であった彼女の静穏なる姿は更に完璧なものとなったのである。

 そして荷馬車はサントノレ通りにさしかかり、ついに悲劇的なラブ・ストーリーが始まるのである。

 そこには長躯痩身で姿の良い、アダム・ルクスという名の若者——彼はマインツ国民公会の派遣議員としてパリ​​に送られていた——が野次馬たちの喧騒にまぎれて立っていた。学識深い教養ある若い紳士である彼は哲学と医学の博士だったが、後者の能力については、解剖学的な仕事に嫌悪を感じてしまう持って生まれた過敏な感受性のために熟達することはなかった。かなりの夢見がちな男であった彼は不幸にも結婚し——そのような繊細な気質の男には珍しいなりゆきではないが——今はもう妻とは別居している。彼はパリ中の者が聞いたようにこの事件と裁判の詳細を聞き、その行為について内心密かに同情していた問題の女性を見てみたいという好奇心からその場に待ちかまえていたのであった。

 荷馬車がゆっくりと近づき、彼の周囲で罵りと呪詛の声が高まり、そしてついに、ルクスは彼女をその目で見た——美しく、静謐で、生気に満ちあふれ、その唇には未だ微笑みがうかんでいた。長い間、彼は彼女を見つめたまま、石で殴りつけられたかのように立ちつくしていた。それから彼は周囲の者たちの目を恐れずに、帽子を脱ぐと静かに一礼し、彼女に敬意を表した。彼女は彼に視線を向けなかった。彼女がそうするとは彼も思っていなかった。彼は彼女に向かって頭(こうべ)をたれた。さながら無反応な聖人の絵姿に向かって敬虔に頭をたれるがごとくに。荷馬車はのろのろと進んだ。彼は頭をめぐらせ、しばらく彼女を目で追った。それから周囲の人々の間に肘をつっこんで押しのけ、人ごみをかきわけて進む彼は、今や帽子をかぶるのも忘れ、彼女に視線を定めたままひたすら後を追いかける、ひとりの陶酔した男であった。

 彼女の頭が落ちたとき、彼は断頭台のふもとにいた。その気高い相貌が最後までゆるぎない穏やかさを保っているのを彼は目撃した。そして巨大な刃の落下音に続く静寂の中、突如として彼の声が鳴り響いた。

「ブルトゥス(ブルータス)よりも偉大なり!」それが彼の叫びであり、そして茫然と彼を見つめている人々に向けて更にいい添えた。「彼女と共に死ねていたら、どんなにか素晴らしかったろう!」

 彼は労せずしてその場を逃れた。おそらくその瞬間、群衆の注目が死刑執行人の助手に集まっていたのが主な理由であろう。その助手はシャルロットの切り落とされた頭を拾い上げると、彼女の頬を平手で叩いたのである。死者の顔がその一撃によって赤くなった、という噂が広まった。当時の科学者たちはこの件について論争し、これを断首されてもすぐに意識が脳から失われるわけではない証拠であると主張する者もいた。

 その夜、パリが眠りについている間、市街の壁には共和国の殉教者にしてフランスの救済者シャルロット・コルデーを追悼し、彼女をフランスの偉大なる女英雄ジャンヌ・ダルクになぞらえたビラが何枚も密かに貼られていた。これはアダム・ルクスの仕業であった。彼はそれを隠そうともしなかった。彼女の幻影はこの感受性の強い夢みがちな男の想像力に強い影響を与えていた。それは一切の危険をかえりみない情熱で彼の精神を燃え立たせ、最期の瞬間に彼女が呼び起こしてくれた熱狂的で非物質的な愛を己が情動の命ずるままに表現させるにいたったのであった。

 彼女の処刑から2日後に彼は長い檄文を発表し、その中でシャルロット・コルデーの行為を完全に正当化する根拠として動機の純粋さを力説し、彼女をブルータスやカトーに比肩する存在とした上で、後々の世まで讃え崇敬するように熱烈に要求した。この檄文の中で、彼はシャルロットの行為を婉曲に表現するために「タイランニサイド(暴君殺害)」という言葉を用いている。大胆にも本名で署名した文書であり、この向こう見ずの代償は己の生命で払うことになるのだと彼ははっきりと自覚していた。

 彼が逮捕されたのは7月24日——彼女の死を目撃した日からちょうど1週間後であった。ルクスには有力な友人たちがおり、その友人らは、彼が問題の檄文に書いたことを正式に撤回すれば特赦放免されるという約束を取りつけるために行動した。しかしルクスはその侮蔑的な提案を一笑に付し、彼が現在味わっている苦しみをもたらした、絶望的かつ非物質的な愛を呼び起こした女性の死を後追いすることを熱烈に決意した。

 それでも友人たちは彼のために尽力した。彼の裁判は延期された。 ヴェーデキントという名前の医師が、アダム・ルクスはシャルロット・コルデーの処刑を目撃したことがきっかけで精神に異常をきたしているのだと証言することになった。彼はこの申し立てのために論文を書き、その疾苦を理由としてルクスに対する寛大な処遇を推奨し、病院もしくはアメリカに送るべきであると説いた。アダム・ルクスはこれを聞いて腹を立て、ヴェーデキント博士の主張に憤然として抗議した。彼は『ジョナル・デ・ラ・モンターニュ』に手紙を送り、9月26日付の同紙に、自分は生きつづけることを望むほど狂ってはおらず、そして人生の半ばにして死に臨まんとする切望こそが自分が正気であることを示す最も確かな証拠なのだ、という旨の声明が公表された。

 彼はラ・フォルス監獄で苦しい日々を送り、10月10日にようやく裁判にかけられた。近づいてきた解放に歓喜する心地で、彼はいそいそと法廷に立った。その裁判でルクスは、自分がギロチンを恐れていないこと、そしてシャルロットの純粋な血によって、そのような死からはあらゆる恥辱が取り除かれたのだと確信に満ちた証言をした。

 司法は彼に死刑を宣告し、彼はその恩恵に感謝した。

「お許しください、崇高なるシャルロット」と彼は叫んだ。「僕は最期の時に、貴女のように勇気と寛容をみせることができないかもしれません。 僕はあなたの優越を心からうれしく思います、なぜならば崇拝される者が崇拝する者より高みにいるのは当然なのですから」

 だが、彼の勇気は彼を裏切らなかった。 実際はそれどころか、 仮に彼女が静かで穏やかな心境だったとすれば、彼の方は恍惚として意気軒高という類のものだった。 同日の午後5時、彼はギロチンが不気味な陰を落としている場所で護送用の荷馬車から降りた。 群衆を振り返った彼の目は明るく輝き、その頬は紅潮していた。

「ついに僕はシャルロットのために死ぬ幸せを手に入れるんだ」彼は皆にそう告げると、婚礼の祭壇にむかう花婿のように熱意を込めた足取りで断頭台を上っていった。

The Historical Nights Entertainment, Second Series (1919年初版刊)より

解説

本作はラファエル・サバチニの短編連作集"The Historical Nights Entertainment"の第二巻に収録されている"XI. THE TYRANNICIDE Charlotte Corday and Jean Paul Marat"の独自翻訳です。

作中に登場するドイツ人革命家Adam Lux(1765年12月27日―1793年11月4日)の刑死は、事件当時にはフランスでも祖国ドイツでも大変な話題になりました。ルクスの行動は「過激化する革命に対して命を賭して抗議した理想主義」ともてはやされ、瞬間風速的にものすごくバズったものの、やがてすっかり忘れ去られてしまいました。

とはいえ彼の不可解な心理は作家の想像力を刺激するようで、革命時代を過ぎてからもルクスを扱った作品は時折創作されており、例えばかのシュテファン・ツヴァイクも"Adam Lux. Zehn Bilder aus dem Leben eines deutschen Revolutionärs"という演劇脚本を執筆しています。

ラファエル・サバチニもコルデーとルクスの逸話に興味をひかれた作家のひとりですが、浮世離れした理想家のコルデーと彼女を神聖視して過剰に思い入れした挙句に身を亡ぼすロマンチストのルクスを描くシニカルな筆致は、さすが『スカラムーシュ』の作者というところでしょうか。


尚、今回は訳注をつけませんでしたが、本文中に登場する人物や簡略に済まされた背景描写などについては、西川秀和先生が無料公開してくださっている『シャルロット・コルデー(サンソン家回顧録より)』の中に充実した解説がありますので、そちらをご参照いただくと理解が深まるかと思います。


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