世界を変えることなんでできない、でも
自分の見ている世界に色づけすることはできる。
自分が生きるのに必要なもの
私は、大好きな「ライブ配信で世界をもっと面白く」したくて、そのために色々行動していて、
その過程を発信することで「好きなことで生きる」人がちょっとでも増えればいいな、そんな信念で日々活動してる。
でも思ったんだけど、それって本当に必要なこと?
何に代えても?
いやぜんぜんそんなことないよなあって。
「私の好きなことはライブ配信」
確かにそれは正しい、寝る時間を削ってやっても苦しくない、本当に夢中になれるもの。
ただそれが世の中からなくなったらどう?と言われたら、
悲しいけど、別に死ぬわけじゃないし、結果的に幸せに暮らしていけると思う。
本当になくなったら生きていけないのは、衣食住(お金)っていう物理的なものと、家族友人、自分を支えてくれる人間だよね。
逆にそこが満たされれば、大抵の人は幸せで、ある程度満足して生きられると思う。
自分の好きなことに熱狂できるのは「やりたいことをできる」って意味で人生の満足度を上げてくれる。
逆に、人は自分のやりたいことがわからなかったり打ち込むものが無いと、不安になる。
そう考えると、本当に心から死ぬほどそのことがやりたいんじゃなくて、
自分に見えてる選択肢の中で、「これが自分のやりたいことだ」って思った結果なのかも。
「やりたいこと」は探すものではなく、自分の中で位置づけるものなのかもしれない。
それはちょっと妥協点みたいで残念な気もするけど、
でもそれくらいの気持ちでいれば、自分の好きなことやりたいことなんて誰でもすぐに見つけられるし、
それでいいんだと思う。
好きなことで生きることは、自分で自分の生きる世界を位置付けること。
みんな自分の幸せを生きている
”本当になくなったら困るのは、衣食住っていう物理的なところと、家族友人、自分を支えてくれる人間だよね。
逆にそこが満たされれば大抵の人は幸せで、ある程度満足して生きられると思う。”
こう書いたけど、私だってそんな「普通の人間」の一人にすぎない。
ニュースを見て嬉しかったり心を痛めたりすることはあるけど、
正直、ニュースで見る世界は自分の生きる死ぬに関わることじゃない。
自分と自分の周りの人と物とそれに加えてネットで見ている世界くらいが、自分にとっての世界だ。
自分にとっての世界で幸せに生きられたらそれでいい。
そんな「普通の人間」の幸せに興味がないとか、そんなことよりも世界や社会をどうにかしたい、
そんな風に考える0.0001%くらいのすごい人たちが、革命や反乱を起こしたりして、世界を変えてきたんだと思う。
その他大多数の「普通の人間」にすぎない私は、この手で世界を変えたりできない。
ただだからと言って、何もしないでなんとなく生きるには、
人生時間がありすぎるし脳みその容量が余りすぎる。
ライブ配信を楽しむ人が増えたり新しい使い方ができたら、
全世界の人がどうかはともかく私は嬉しいし、
一人でも多くの人が自分の好きなことだけやって生きていける世の中は、
私にとってもストレスなく生きやすい世の中だと思う。
自分にとっての世界だけ、少しだけでも、広げたり鮮やかにできれば、それでいい。
それが、私の周りの誰かの心や人生をちょっとでも豊かにできてたら、それもまた嬉しい。
「普通の人間」は「普通の人間」なりに、世界に色づけできる。
それが自分に見えてる世界でしかなくても、きっと誰かの世界とも重なっている。
だから私はやっぱり好きなことを好きと言い、やりたいことを楽しいと言ってやり続けよう、
それに対して、「こうでなきゃいけない」「伝えなきゃいけない」なんて気負ったりする必要なんてない、
ただ私が嬉しいからそうする。
「やらなきゃいけないこと」じゃなくて、「やりたいこと」だった。
そんな原点に立ち帰って来た。
自分が楽しいと思う世界は、誰にでも作れるんだよね。
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