先行公開 ショートショート集『のうぢる』まぶたの裏の住人
ぱちり、眼を閉じる時、セナはいつでも不思議に思いました。
まぶたの裏に、おじさんがいたからです。
「なんだよ」
おじさんはいつでもそう言いました。ちゃぶ台に肘をついて、グラスに大五郎を注ぎながら、真っ赤な顔で、据わった目で、ばつが悪そうに言うのでした。
「おじさんは、誰なの?」
セナも決まってそう言いましたが、
「うるせぇよ」
吐き捨てるなりおじさんは酒盛りの続きを始めてしまい、それからはどんなに話しかけても無視されてしまうのでした。
そしてその背中が、セナには寂しくてたまりませんでした。
なんでこんなに寂しいのかはわかりませんでした。でも、ぜったいに、おじさんも寂しいのだと思いました。
いつだかセナは、おじさんを助けてあげたいと思うようになりました。
「ねえセンセイ。僕のまぶたの裏にはおじさんがいるんだ」
で、ある日セナは、遠視の治療で通っている病院のお医者さんに、おじさんのことを話してみました。でも、お医者さんは眉間に皺を寄せて、
「きっと夢でもみたんだよ」
と、まったく相手にしてくれませんでした。
「ねえお母さん、おじさんがいるんだ」
またお母さんにもおじさんのことを話してみましたが、
「はいはい、いますねー」
なんて、あしらわれてしまうのでした。
でもセナは納得いきませんでした。どんなにあしらわれたって、眼を閉じればいつだっておじさんは独りぼっちで大五郎を飲んでいるのでした。大人は隠しごとばかりするから、嘘をついているのだと思いました。けれども、だからといって、そうして嘘をつく理由はわからないし、となれば本当に見えていないのかもしれない気がしたし、となれば自分こそが嘘をついている気にもなってくるのでした。
「ほっていてくれよ」
それでも、まぶたを閉じればぜったいに、おじさんは大五郎を飲んでいるのでした。
『そうだ、友達に聞いてみよう。一人くらいは、おじさんを知っているかもしれない』
で、ある日セナは思い立って、保育園の休み時間、チューリップの花壇のまえで、いっつも自分にくっついてくる小春ちゃんに聞いてみました。
「小春ちゃん、僕のまぶたにはおじさんがいるんだけど……」
「あら、私もよ。でも私は、おばさんがいるわ……」
小春ちゃんの言葉に、セナは吃驚しました。やっぱり僕だけじゃなかったんだ、と。やっぱりみんなが嘘をついていたんだ、と。セナはこくこく一人で頷いて、
「……そうだっ」
ふと、セナは閃いたのでした。
「僕のまぶたと、小春ちゃんのまぶたをくっつけたら、おじさんとおばさんがお話できるかもしれない」
「ふうん。とってもいいと思います。おばさんも、おじさんも、友達がいた方がぜったい楽しいもの」
早速セナは眼鏡を外しました。
まるでキスするように、そっ、と重ね合わせました。
いつもの暗やみの中、おじさんは、吃驚した顔でこちらを見ていました。
しかし、それはおばさんがゆっくりおじさんに近づいていくからでした。
「し……茂美……茂美なのか?」
「ま、勝さん! ……そうです、茂美です、私です、茂美です!」
おじさんとおばさんは抱き合ってわんわん泣きました。セナたちにその理由はわかりませんでしたが、気がつくと、閉じたまぶたからいっぱいの涙が溢れているのでした。
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