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先行公開ショートショート集『のうぢる』リッポンス・ベルチェの花

 庭の雑草を引き抜いて、大嫌いな隣人の駐車場に投げ込んだところ、雑草はコンクリートの地面を突き破り根を張り、やがて大きなリッポンス・ベルチェを咲かせたので岡野は愉快で堪らなかった。

「おい! ざまあみろ! ぶはは! 天罰だ!」

 流石のリッポンス・ベルチェに隣人も返す言葉を失った。岡野がいくら罵詈雑言を浴びせても叱られた子供みたいに俯いて、旦那はとぼとぼ郵便局の仕事に向かい、嫁はびくびくフラダンスのレッスンに通った。

 しかし、その息子が中々の曲者だった。

「おい! 餓鬼! パンツ脱がしちゃうぞ! べろべろ!」
「あ! 岡野さんおはようございます!」

 今まで関わっちゃいけないと両親にきつく言われ、岡野と目も合わせなかったのに快活に挨拶をするようになって、

「こら糞餓鬼! セックスって知ってるか? ぶへへ、お前の両親が毎日やってらぁ!」
「岡野さん! 今日もいい天気ですね!」

 どんなに下品に言いつけてもにこやかにお辞儀までして、

「おい! 俺は毎日お前を犯す妄想をしているんだ! いつか絶対犯してやる! ぶは!」

 もう通報されても構わない気概で怒鳴りつけてやった日、

「岡野さん! こんにちは! 僕んチの庭に綺麗な……花? を咲かせてくれて、どうもありがとうございます! 岡野さんみたいに良い人に会えて、ほんとうに幸せです!」

 子供はその小さな両手で、岡野のごつごつ汚らしい手を、優しく、温かに、包み込んでくれるのだった……。

「……オッ! オッ、うう、あううっ! オッ、オッ、オッ、どうして、ウッ! どうして、俺にこんなに優しくするんだぁ!」

 岡野は、泣いた。岡野は優しさを信じていなかった。悪態をつくことで自分を保っていた。学生生活の全てを虐めに崩壊された岡野にとって、虚勢を張ることが唯一の頼りだった。自分は虐められていない、へっちゃらだ、怖くないんだ……。そんな岡野の哀しき心が、一人の少年――しかもかつては憎んだ少年――に溶かされたのだった。

「岡野さん。僕は、ほんとうに感謝しているんだ。こんなに大きな……花? はそうそう見られないよ。品評会に出したら、もしや、世界一になるかもしれない。僕は一目見た時にこの……花? が大好きになったんだ。将来は大学でこの……花? の研究をしたいと思った。僕は勉強が大好きになったんだ! それは全部岡野さんのおかげ……まあ、ちょっと駐車場は壊れちゃったけど、それはいいんだ、ありがとう! ありがとう!」
「そうか……そうか……俺も昔は夢があったなぁ、少年、頑張れよ、俺は、応援するよ!」
「うん! お母さんたちとも、きっと仲直りができるよ!」

 岡野と少年は固い握手をした。駐車場に並んで腰かけ、リッポンス・ベルチェを眺めた。心なしか岡野には、リッポンス・ベルチェの80の眼球が潤んでいるように思えた。


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