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「前払いされた幸せ」などない

ロルバーンのノートを入れてもゆとりがある、でも大きすぎない、軽くてかわいい革のショルダーバッグ……。

を、探し続けて数か月、やっと「運命のカバン」に出会えたので、買いました。

23,100円。なかなかだ。

いいものだけど、なかなかのお値段のものを買ったので、帰り際「仕事がんばろ……」とつぶやいたら、夫からこんなお言葉が。


「いや仕事は関係なくていいでしょ。気分がいいってだけで」


……確かに仕事は関係ない。

それはそう。そうなんだけど、
その「気分がいい」っていうフレーズを、わたしはおそらく、人生で一度も使ったことがなかった。

そのことに気付いて衝撃を受けました。
こんなに簡単な日本語を使った記憶がないってこと、ある?

「気分がいい」ということ、たぶん今までにも幾度となくあったんだと思います。

でもそのたび、「(だから)頑張らなきゃな」という謎の責任感を負って、それでかき消していたのかもしれない。

だからわたしは長らく(少なくとも20代)、家を出て自分のために手間や時間をかけることをしていても、幸せじゃないと感じる瞬間がたくさんあったのかもしれない。

「気分がいいな♪」ということを、謎の責任感でかき消さずに、形を変えずにそのまま味わっていたら、もっと幸せなままでいられた時間がたくさんあったのかもしれない。


従来のわたしのような考え方になってしまう人間は、おそらく「気分がいい」ということを、「前払された幸せ」みたいに思っているんじゃないだろうか。

「これをあげるから頑張ってね」と言われているみたいな。

あるいは自発的に「これをもらったのだから、もっと役に立つ、生産性のある、価値があると言われるべき人間にならなければ」と思っているみたいな。

どこで拾ってきた? この価値観。

冷静に考えて「前払いされた幸せ」などないはずなんですよね……。
「その幸せは前払いなんだから、相応の努力をしなければ罰が下るよ」なんてことはあり得ない。

対価が必要なのだとすれば、それはもう、幸せを得る時までに差し出し済みのはず。
わたしが買ったカバンに例えて言えば、その対価は、バッグにつけられた値段分のお金と、そのお金を稼ぐために使った時間と労力です。

(いやそれを差し出せる仕事と健康に恵まれたことに対しては、感謝の気持ちを持つべきだとは思いますが……。とか考えて、またごちゃごちゃになる)


「前払いの幸せ」なんてない。

「気分がいい」ということを、そのままの純度で味わい、噛みしめるべき。
むしろそうでなければ、払った対価と得た幸せに対して、失礼ですらあるのでは。

味わって噛みしめるために、さっそく、シワの寄った部分にクリームを塗るなどして、革のケアを楽しみました。(早すぎ)

ランドセルみたい。
後ろも愛らしすぎる。


まあ仕事は仕事なので、これからも色々大変なことはあると思いますが、
このカバンを下げて出かける時は、「気分がいい」ということを、何度でも味わい直していきたい。

もはや幸せに対して「幸せを純粋に体感しなくちゃ」とか「これで不幸せを忘れなくちゃ」とか思う必要すらないんですよね、本当は……。

ただ「気分がいい」ってだけで。

日頃「幸せとは」を追究しがちなんですが、
これからは「気分がいい」というその気分を生むこと、保つこと、味わうことにも着目してみたいと思います。


ここまでお読みいただきありがとうございました!

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