宝石の森

 深い緑の世界だった。陽の光すらも届かないような、深い森のなかだった。霧のように黄色い粉が舞い、それらは当たり前の存在として空気とともに漂っている。
 手に剣を携える。細く長い、うつくしいフォルム。日本刀。これの扱い方を誰に教わったのか。ずいぶん手に馴染んでいた。
 やがて森の奥から姿を現したのは、妖精のごとく愛らしい姿をした緑色の生き物だ。全身の皮が黄緑色で、自分とはまったく異なる生き物なのだとすぐにわかった。そしてそれを理解するよりも先に、斬らなければ、という意思が降ってきた。湧いてくるよりも、降ってきたのだ。
 黄緑色の皮はワンピースを着ているような形をしていた。ふらふら、と彼女が微笑んで揺れるたびにスカートの部分も揺れる。声はしない。言葉も発しない。ただ、微笑んで揺れている。
 とても害のある生き物には思えなかった。危害を与えてくる様子も見せない。もしかしたら見せないようにしているだけで、噛みつく瞬間を狙っているのかもしれないけれど。それでも、気配が違う。殺気がない。刺さるような、胸の内を掴んで揉んで揺らしてくるような気持ち悪さもない。そこにいて、微笑んでいるだけだった。それでも頭には〝斬らなければ〟という使命感だけがあった。明らかに異物であるのに、それは身体に、心に、馴染んでいる。手のひらに馴染む柄と同じで、自分の意識と身体が別々のもののように。
 柄を握る手に力が入る。意志とは別方向に向かって身体が動く。踏み出す右足。一気に詰める間合い。彼女は、黄緑色の皮をひらひらと揺らして微笑む彼女は、抵抗することもなくあっけなく真っ二つに斬れた。やわらかいゴムを斬るような感覚が手のひらに伝わってきた。うつくしい日本刀の刃には血すら付かずにうつくしいまま輝く。黄色の粉が舞う。陽の光は届いていないはずなのに、視界は良好だった。

 彼女だったものは、焼けたあとのように黒い骨が残っていた。頭の骨があって、肋骨があって、上腕骨があって、大腿骨があって。にんげんとおなじだった。骨が黒いことと、眼窩以外は。
 眼窩を埋め尽くしていたのはきらきらと輝く宝石だった。鮮やかなオレンジ色の、口に含むと甘い味がしそうなマンダリンガーネットがこぼれそうなほどに埋め尽くされていた。それらに手を伸ばす間もなく、近くでまたひとつ、影が現れる。気配を察するよりも、自分の身に降る〝斬らなければ〟の使命感がその影の存在を知らせてくる。
 深い森に囲われた空間だった。黄色の粉が霧のように舞うなかで、現れたのは黒い骨と宝石になってしまった彼女とおなじ、黄緑色をした妖精だった。

 なにのために。
 彼女たちがなにをした。

 頭の内側で響き、電流となって身体の筋肉を動かしていく使命感。なにのために。どうして。柄を握る手が勝手に力を込める。スカートを揺らして、彼女は微笑むだけ。奥からもう一体、おなじ姿をした彼女が現れる。悪意も敵意もなくゆらゆらしている。

 なにのために。
 足は地を蹴った。土がやわらかく押し出した。
 わたしは斬りたくない。
 斬りたくなかった。
 うつくしい刃が彼女の身体に刃先を食い込ませる。
 斬りたくなかった。
 わたしは、斬りたくない!

 彼女の、ゴムのような弾力のある黄緑色のスカートに切れ目が入り、ぺろんとめくれた。血は出ない。皮の内側が切れ目から見える。おなじく黄緑色をした、ぶつぶつの凹凸。
 頭のなかで響く。
 斬らなければ。あれを斬らなければ。
 足は考える間も与えずに再び踏み出していた。微笑みながら彼女もまた近づいてくる。無防備だった。まるで斬られることを望んでいるかのように。ゆらゆら。
 今度こそ、深く確実に、刀が彼女の皮を引き裂いた。
 ごめんね。ごめん。
 そう謝ったわたしを見る彼女の表情が、目が、かなしいと言っていた。謝られることを望んでいないと言っていた。
 そのままもう一体。ワルツのステップで身体を切り替えし、斬られることを望んで近づいてくる彼女を斬った。ごめんね、とわたしは言わなかった。彼女もかなしいと言わなかった。微笑んで、黒い骨と宝石だけになった。

 彼女たちは個体によって、それぞれ異なる宝石を秘めていた。
 紫色に輝くアメシスト。
 無色に輝くホワイトサファイア。
 なにのために。
 わたしはなにのために。 

 陽の光も届かないはずの、森のなかだった。黄色の粉が舞い、薄暗闇に宝石は輝く。うつくしいフォルムの日本刀を握って、わたしは立ち尽くしていた。
 ひとりきりだった。

(宝石の森/160320)