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【あおもり紀行】第10話。十三の砂山と日本海中部地震

気がつけば久々の更新だ。
わぁのWEBサイト「津軽STYLE」をリニューアルしようと思って、その作業をしていたので、こっちがおろそかになっていました。
二つのことを同時並行でできない人なんです。
一点集中シンプル脳なんです。
WEBサイトはまだできていないんだばって、これは書いておきたいなと思ったわけです。

ここ数日、妙に民謡「十三(とさ)の砂山」を聞きたくしょうがない。
なしてだべ?
5月26日に青森県のニュースを見ていたら、この日は39年前に日本海中部地震が発生した日なんだど。
なるほど、だから聞きたかったのか。
十三の砂山は、十三湊が津波で壊滅し砂山だけが残った、という鎮魂歌だ。物悲しいメロディーが、残された砂山を想起させる。。。
無意識のうちに何かを感じ取っていたようだ。

十三の砂山まつり(2009年)

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日本海中部地震(ウィキペディアから)
発生日:1983年(昭和58年)5月26日
地震発生時刻:午前11時59分57.5秒
震源:秋田県能代市沖
規模:マグニチュード7.7
最大深度:震度5(秋田市、深浦町、むつ市)

概要
当時日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波による被害が出た。日本での死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者であった。家屋の全半壊3049棟、船舶沈没または流失706隻、被害総額は約518億円にのぼった。

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十三の砂山まつり(2009年)

この時、わぁは4歳だったけれど、地震のことはよく覚えている。
保育園でお昼を食べる直前で「いただきます」をした瞬間だった。揺れていたのは分からなかったけど、先生に言われて机の下に隠れ、その後、園庭に避難した。

あの日の給食はめったに出ないシチューで、とても楽しみにしていた幼児いとうけいくん。それを目の前にして、「いただきます」もした。
でも、一口も食べられなかった!
猛烈に残念だった記憶として残っている。今も昔も食い気だけは旺盛だ。

青森県では津波で17名が亡くなった。
内訳は十三湖(旧市浦村)で6名、鰺ヶ沢町で3名、旧小泊村で5名、旧深浦町2名、旧岩崎村で1名。釣りをしていた人が多く、波が引いて海の底が見えたけれども、それが津波の前兆だとは分からなかったらしい。

東日本大震災を経験して、今では避難ルートなど津波対策が考えられたが、当時は日本海側では津波は発生しないと思われていたそうだ。

十三の砂山まつり(2009年)

1993年には北海道南西沖地震が発生した。
当時は高校生で揺れたことは覚えている。テレビや新聞を見ていなかったのでどんな災害が起きているのか知らず、津波の被害があったことを知ったのはずっと後だった。

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北海道南西沖地震(ウィキペディアから)
発生日:1993年(平成5年)7月12日
発生時刻:22時17分11.7秒
震源:奥尻島北方沖
規模:マグニチュード7.8
震度:6(奥尻島の推定値)
津波:16.8m:奥尻島 初松前地区
死傷者数:死者:202人(青森県では1名)

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十三の砂山まつり(2009年)

民謡「十三の砂山」は、十三湖あたりの歌だ。
「十三湖あたり」と書いたのは、ここの地名をなんて書けばいいのか難しくてや。今は五所川原市で、その前は市浦村で、その前は十三村で、平安、鎌倉、室町時代は十三湊(とさみなと)だ。十三湊は鎌倉時代から安藤水軍を擁する豪族・安東氏の拠点として繁栄した。

十三の砂山は、十三湊が津波で壊滅し砂山だけが残った、という鎮魂歌だ。物悲しいメロディーが、残された砂山を想起させる。
・・・って思っていたんだばって、この記事を書くのに色々と調べてみたらなんか違うみたいだ。

十三の砂山まつり(2009年)

十三の砂山は、江戸時代に山形県の酒田で歌われていた酒田節が原曲で、北前船の船乗りたちによって伝えられたのだそう。そして元々は太鼓だけで伴奏されていたのを、昭和26年に民謡歌手の成田雲竹氏と、三味線奏者の高橋竹山氏によって現在のような曲にアレンジされたとのことだ。

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)という古文書がある。それによると1340年に発生した大津波によって十三湊は壊滅したという。ただ、この東日流外三郡誌は世間的にはニセモノの歴史書ということになっていて、実際、発掘調査でも津波の形跡はないらしい。

あらら、思っていたのと違う結論になってしまった。
津軽三味線の漫画「ましろのおと」には鎮魂歌って描いていたんだけどな。
それでも十三の砂山のメロディーは鎮魂歌っぽいし、わぁの中では日本海中部地震と完全にリンクされた。

これから十三湖に行くたびに、十三の砂山と日本海中部地震のことを想うんだべな。きっと。

十三湖大橋から


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