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大河ドラマ「どうする家康」第16回雑感 ~武田軍の強さとは?~

久しぶりに大河ドラマ(録画)を見たので今更ながら、第16回の雑感をアップ。

赤地に堂々と描かれた百足の旗指物は、恐怖と不気味さを感じさせ、武田家の底知れぬ強さを我々にイメージさせる。

武田家の強さとは、一体何か?

人質として武田家に送られた久松松平源三郎は、甲斐で武田家の強さの秘密を「体感」する。

武田家の兵は、監獄のような修練場で厳しい鍛錬をし、兵の戦闘力を強化をしていた。
その中には信玄の息子四郎勝頼の姿もあった。
風雪に耐え、粗食に耐え、猛訓練のシゴキにも耐え、精神的肉体的に鍛えあげられた精強な武田の兵に、脱走した源三郎の話を聞いた家康は恐怖する。

甲斐は貧しい国、小国が大国になるには兵の個々の戦闘力を上げるしかないと信玄は考えたのだろうか。
まさに「人は城、人は石垣、人は堀…」である。

ただ、私個人の考えとしては、武田家の強さは兵個々の戦闘力にあるのではないと思う。
孫子の旗を掲げる信玄としては、謀略、外交の巧みさ、さらに言うなら民政力がポイントと考えていたのではないかと思う。

武田から話は逸れるが、かつて、戦前の日本は東洋の貧しい小国であった。
小国が強大な欧米列強に対抗していくのに、人材の育成を図った。
軍隊では兵に猛訓練をさせ、物量のハンディを人間の個々の力でカバーしようとした。

組織の基本的な構成要素である個人の力は重要ではある。
かつての日本のソフトパワーの過剰なまでの強化は、ある部分においては大成功した。

しかし、個人に全てを求めることが行き過ぎると、科学軽視、非現実論、精神論に陥り、個の必要以上の犠牲を招く。
まさに旧日本軍がそうであったように。

武田でも同じことが言えるのではないか。
武田の兵は鍛え上げられた精兵であった。
周辺国から大いに恐れられただろう。

しかし、後に長篠設楽原の戦いで、現状を無視した武田軍は、物量にものを言わせた織田、徳川の足軽兵の鉄砲の餌食になってしまい、勇敢な将、精兵から次々死んでいった。

人間の能力は無限大、しかしそればかりに頼り過ぎるは良くない。
個々の力で戦に勝つには限界がある。
やはり、広い視野に立った総合力、特にリーダーにはそれが求められると言えるだろうと思う。

孫子の兵法にある
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
即ち、戦わずして勝つ。
見た目でわかるような単純な戦闘力ばかりが強さではないのだ。

戦略、謀略、外交、民政における総合的な、信玄というリーダーの能力…
これが武田軍の強さであろうと思う。

諏訪四郎勝頼、前線司令官としては戦国一だろう。
しかし、それは武田家リーダーとしての真の強さを意味しない。

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