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はじめに/東京から唄う八重山民謡

 東京で「八重山民謡を習ってます」と言うと、よくされる質問にはいくつかのパターンがある。

 一つは、「八重山の出身ですか」というもの。たしかにわたしの父はシーサーによく似ていたが、わたしはシーサーの娘ではない。わかる限り2、3代遡っても、八重山や沖縄に縁はなさそうである。

 もしかするとそれより多い質問が、「八重山って何ですか」かもしれない。「どこですか」ですらない。「沖縄県の島が連なっている一番南の方の、石垣島や竹富島や西表島や……」と答えているうちに、さすがに観光地として名高いだけあって、日本地図の南西の端が記憶から立ち上ってくるのが表情からうかがえる。

 王道は、八重山民謡を習っている理由を尋ねるもの。八重山の伝統工芸であるミンサー織について学生時代に研究していたから、と答えると、もっともらしく受け取ってもらえるのだが、そしてそれがわたしの八重山との縁の始まりではあるのだが、それならミンサー織を習うほうが自然なはずである。

 東京と、一番近い外国である韓国の首都ソウルとの間は約1,150km。東京-石垣島間は約1,950km。八重山の人が知っている東京のニュースに比べたら、東京で得られる八重山のニュースはほんのわずかだ(それでも最近はネットのおかげでだいぶ即時的になってきたけれど)。八重山から東京を見るより、その逆は遥かに遠い。国内でありながら、とてつもなく遠方に点在する島々の唄をあえて習おうというのだから、奇異な目で見られるのも無理はない。

 自分でも不思議なのだ。どうして八重山民謡にここまでのめり込んでいるのだろう、と。毎日毎日、来る日も来る日も、時間の隙を見つけては、三線を手に練習をしているのである。四十の手習いにこんなに時間を割いてもいいのかなと、たまに我に帰ることもあるのだが、それでも三線を爪弾く手を止められないのだ。

 そんな三線づけの日々は、疑問に溢れている。技術的な行き詰まりで突き当たる壁もあるが、もっと奥深い「文化の違い」に起因するものを、唄いながらたくさん抱えてきた。そのなかには、もうあと何年か唄っているうちに、自ずと解決されるものもあるかもしれない。と同時に、東京で唄っている人や、もしかすると場所を問わず習い始めたばかりの人の多くが、通る道かもしれないなとも思う。

 あえてタイトルに東京と入れたのは、わたしが住みながら八重山民謡を習っている地だからということはもちろんあるのだが、それだけではない。八重山のような確固とした地元らしさを持つ人の少ない地、という意味でもある。

 八重山民謡を理解するために、わたしはわたしの内なるものを基点に、八重山民謡に疑問をぶつけている。それはまた、その基点を問う作業でもある。自分は何者であるのか、なぜ八重山民謡に惹かれるのか、入門したばかりのころから六年間、考えてきたことをまとめておこうと思う。


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