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東京から唄う八重山民謡

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東京で八重山民謡を学ぶつれづれを綴ったエッセイ集。2022年11月に執筆しました。
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記事一覧

型となること | 真南風乙節/唄い継いでいく 4 | 東京から唄う八重山民謡

 わたしたちが教本としているのは、三線のメロディを示した工工四に、唄のメロディも書き添え…

似ているもの、似て非なるもの | 前ぬ渡節/唄い継いでいく 3 | 東京から唄う八重山…

 入門したてのころ、それまでほとんど音楽に興味を持っていなかったのに、突如として毎週末レ…

交差する感情 | つんだら節/唄い継いでいく 2 | 東京から唄う八重山民謡

 黒島から石垣島の野底への強制移住を詠っていることは、第2章の7「強制移住とマラリア」で説…

選曲の基準 | 赤馬節/唄い継いでいく 1 | 東京から唄う八重山民謡

 「赤馬節」は八重山民謡を代表する曲であり、喜ばしいことばが幾重にも重ねられた祝儀唄であ…

解釈を引き寄せる | 目出度節/唄から文化を学ぶ 8 | 東京から唄う八重山民謡

 たまたま石垣島滞在中に舞踊の発表会があると聞いて、石垣市民会館に行ったときのこと。「五…

強制移住とマラリア | 崎山節/唄から文化を学ぶ 7 | 東京から唄う八重山民謡

 「崎山節」は、かつて西表島西部にあった崎山村が、開墾によってつくられた史実をもとにして…

災害を語り継ぐ | 与那覇節/唄から文化を学ぶ 6 | 東京から唄う八重山民謡

 2021年、石垣市役所が、美崎町にあった旧市庁舎から、真栄里に完成した新市庁舎に移転した。51年間使用された旧市庁舎では叶わなかった、耐震構造の強化やバリアフリーが新庁舎には備わった。それだけではなく、港に面する埋立地の美崎町から、高台の真栄里への移転には、東日本大震災(2011年)や明和の大津波(1771年)の教訓が生かされたのだという。  1771年とは、かなり昔のことのように感じるが、大津波がどこまで達したのかという話題は、師匠や島の人たちから聞くことがあり、津波へ

過酷な人頭税 | 大川布晒節/唄から文化を学ぶ 5 | 東京から唄う八重山民謡

 琉球王へ納めるための極上の布は、と唄い出す「大川布晒節」は、第2句以降、織りあがった布…

賄い女の人生 | 仲筋ぬぬべま節/唄から文化を学ぶ 4 | 東京から唄う八重山民謡

 八重山民謡に描かれる女性として「賄い女」を無視することはできないだろう。離島や、石垣島…

布と女性たち | 大浦越地節/唄から文化を学ぶ 3 | 東京から唄う八重山民謡

 「蔵ぬぱな節」でもう一つ引っ掛かるのが、女性の登場の仕方である。役人という男社会の話の…

被支配の歴史 | 蔵ぬぱな節/唄から文化を学ぶ 2 | 東京から唄う八重山民謡

 わたしと同世代の人たちは、おそらく、沖縄県で教育を受けた人以外は、沖縄史について学校で…

情報のつかまえ方 | ひゃんがん節/唄から文化を学ぶ 1 | 東京から唄う八重山民謡

 20年前に比べると、八重山にかんする情報は格段にネットに溢れている。わたしもしばしば検索…

誰でも、いつでも | しょんかね節/唄いはじめ 9 | 東京から唄う八重山民謡

 ある日、わたしは「しょんかね節」を唄うと、みょうに眉間が疲れることに気づいた。「しょん…

暮らしを映す | くいぬぱな節/唄いはじめ 8 | 東京から唄う八重山民謡

 現在では島民が15人ほどしかいないという新城島は、定期船の運行がないこともあり、わたしはいつか行きたいと憧れ続けているだけでまだ行ったことがない。その新城島を詠った「くいぬぱな節」は、まだ見ぬ風景を描写しているからこそ、想像力を掻き立てる。  織り上げた布を海で晒す女性がいる光景は、写真では見たことがある。カッと照る太陽の下、エメラルドブルーの空と透き通る海、白い砂浜と雲と布。溢れんばかりの詩情だ。  この先、第2句になると今度は、男がタコを獲っている。第3句では男が愛