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選曲の基準 | 赤馬節/唄い継いでいく 1 | 東京から唄う八重山民謡

赤馬節[あかんまぶすぃ]
いらさにしゃヨウ 今日ぬ日ヒヤルガヒ どぅきぃさにしゃヨウ
黄金日ヨウ ハリヌヒィヤルガヒ

玉代勢長傳編『八重山歌声楽譜付工工四全巻』(1989)pp.1-3
※引用は2006年版から

 「赤馬節」は八重山民謡を代表する曲であり、喜ばしいことばが幾重にも重ねられた祝儀唄であり、座開きでもよく唄われる。冒頭に引用した歌詞と、その次の歌詞の2句がよく唄われるのだが、じつは引用した句の前に3句ある。

 石垣島の宮良村に暮らす大城師番という役人が、ある日、海を泳いで上がってきた馬に出会う。言い伝えにある神が乗る馬ではないかと思い、試しに乗ってみると、予想通りの駿馬だった。この馬がタイトルの赤馬である。連れて帰り、かわいがっていたところ、八重山中に知れ渡り、評判が琉球王の耳にも届いた。

 そして、赤馬が琉球王に召されて、師番は献上することになる。別れを惜しみつつも、村をあげて赤馬の門出を祝い、師番が感極まって詠んだのが前段の3句である。赤馬のこの上ない名誉よ、生まれたかいがあった、琉球王に望まれた、と(引用は囃子を除く)。

赤馬ぬいらすざ 足四ちゃぬどきにゃふ
生りる甲斐 赤馬 産でる甲斐 足四ちゃ
沖縄主ん望まれ 主の前ん見のされ

赤馬節

 しかし首里に到着した赤馬は、琉球王がまたがり鞭を当てられても動かず、かと思うと暴れ出す始末。元の飼い主である師番と共にあるからこそ、名馬であることが認められ、下賜されることになる。赤馬が戻ってくる喜びを詠ったのが後段の2句である。この上なくうれしい今日この日、生まれ変わったぐらい今日がうれしく、羽が生えて飛び立ちたいぐらいだ、と(引用は囃子を除く)。

いらさにしゃ今日ぬ日 どぅきさにしゃ黄金日
我ん産でる今日だら 羽むいるたきだら

赤馬節

 つまり、前段と後段では喜びの向きが違う。前段はいかにも封建的で、名誉や、もしかすると見返りを期待した喜びである。反対に後段は、赤馬と再び一緒に暮らせることに歓喜している。安直な言い方をすれば、前段は建前で、後段は本音と分けられよう。

 囃子のハリヌヒィヤルガヒのメロディは、赤馬が疾走している様子が目に浮かぶような、勇壮な躍動感がある。メロディに加えて、前段と後段の歌詞も、馬の飼い主であった師番が作ったと伝えられている。赤馬を愛おしむ気持ちが赤馬の姿をメロディに映し、また心の動きのままに歌詞を重ねていったということだろうか。

 八重山民謡では、第1句の冒頭の歌詞が唄のタイトルになることが多い。「赤馬節」も第1句を見ればその例の1つだ。だけれども、頻繁に唄われるのは「いらさにしゃ」に始まる第4句と続く第5句。なぜだろう。この疑問に答えが出るものとは期待していないが、やはり唄い継いでいく心性として、建前より本音、なのだろうか。

 もっとも後段2句には、赤馬を表すことばが出てこなくて、ひたすらに私(=大城師番)の喜びだけが綴られている。それにもやや驚く。赤馬がいるからこそ喜ばしいはずなのに、赤馬に言及しないなんて。しかし歌詞で赤馬に触れていないからこそ、さまざまな祝いのシチュエーションに合わせやすい、とも言える。

 赤馬の話には続きがある。とうとう薩摩の島津氏にも評判が届き、献上が決定する。赤馬は平久保から迎えの船に乗るも、暴風雨に遭って船が平久保に戻り、避災のために陸揚げされる。すると赤馬は縄を切って疾走し、宮良の師番の家まで戻ってきて最期を遂げる。

 2回の喜びはすかさず歌詞にした師番だが、薩摩への献上は前回の二の舞になる予感がしたのだろうか、そしてまた赤馬の死はつらすぎたのだろうか、歌詞にしていない。赤馬を永遠に失った師番にとっては、「赤馬節」は幸せだったころの思い出をとどめた唄になっている。

 悲話であること理解した上で、「赤馬節」の第4・5句を祝儀唄とすることを、もう一度考えてみたい。メロディは流麗で、そこにちょうどよくめでたい歌詞が連なっているのだから、祝いの場に合う、というだけなのだろうか。どんなに喜ばしいときでも、その先には喜ばしいことばかりが待ち受けているわけではないという暗示による教訓なのだろうか。あるいは、大きな権力を前に、小さな民にはなすすべはないが、せめて自分たちの身の丈にあった喜びを享受しようという趣意なのか。

「赤馬節」第4・5句のチラシとして唄われる「しゅうら節」も不思議な成り立ちをしている。「赤馬節」第4・5句と同様に喜びのオンパレードで、夜は7日、昼は100日、つまり長く祝いましょうと盛り上げる。

しゅうら節[しゅうらぶすぃ]
今日ぬ日ば 黄金日ば 本ばし ヨウエイシュウラジャンナヨウ
夜の七日 ぴぬ百日 祝いす ヨウエイシュウラジャンナヨウ

玉代勢長傳編『八重山歌声楽譜付工工四全巻』(1989)pp.3-4
※引用は2006年版から

 そもそも「しゅうら」とは「かわいらしい」の意で、「なうしゃる子のどぅ いきゃしゃる子のどぅ 我ぞなりくうでぃね〈どんな娘が、どんな器量のよい子が自分の嫁になるのか〉」という嫁選びの歌詞もある。こちらのほうが元歌で、チラシの歌詞のほうが後からできている。

 まったく文脈の違う歌詞の唄が、チラシとして歌詞を変えて添えられるのは、どういうことだろう。赤馬がかわいらしいということなのか、単にメロディがマッチしていたということなのだろうか。

 いつ、どんな場で、どの曲を唄うのか。ここだけ抜き出したらいいんじゃないか。これは歌詞を変えてみよう。といった選曲がどう決まって、どう受け継がれてきたのか、興味が尽きない。

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