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私が情報発信を始める理由、私じゃないといけない理由

自分の生き様を伝えていき、そこからコンテンツを生み出すことで人のために何かができる「情報発信」という活動があること知り3か月、ようやく私は、自分の言葉で自分の思いを伝えようとしている。

どうして情報発信をしようと思ったのか、それは、過去の私のように「自分で見ることのできる世界だけを見て絶望してしまっている人に、多様な生き方や人生の選択肢を知ってもらい、もっと力を抜いて、生きることが楽しいと思ってもらいたい」「私はそのためのサポートがしたい」と思ったからだった。


私はただの21歳で、特に秀でたことはこれといってない。

しいて言えば、中学生時代に不登校を経験していたり、成人を超えてもなお通信制という形で現在も高校へ通っていたり。

周りの同じ年齢の21歳より、少しだけ人生を遠回りしているだけの存在。

そんな私が、大きな目標を掲げて本当にやっていけるのか。

本気で情報発信がしたいと思って、ない頭で必死に考えて出てきた答えに、自分自身が寄り添っていけるのか。

それをやるのが、なぜ私でないといけないのか。私がやる意味はあるのか。

そう考えていくうちに、二つのことが頭を過った。


ひとつめは、私の21年という、決して経験が豊富とは言えない人生の中で、悩むこと、苦しいともがきながらも逃げずに考え続けることに、人生の大半の時間を費やしてきたこと。

全く意識はしていなかったし、いつも当たり前にやってしまっていたことだけど、自分の何かを切り売りすることで誰かのためにならなければならない状況に万が一なってしまったときは、私はこの経験や時間を費やして見えてきたことを人に差し出すのではないかと思ったから。

人の人生というのは、全く同じものを持った人なんていない。仮に兄弟とか、二人の人を比べて近い状況を経験してきた人たちがいたとしても、その人自身の考え方やものの見方によって何通りにも世界が広がっているもの…

こんな私の小さな経験の積み重ねでも、それを知ったことで「こんな人もいるんだ」「同じようなことで悩んだ人がいるんだ」と安心してもらえたり、次に進んでいくヒントや力にしてもらえたら、私はこんなに嬉しいことはないんじゃないかなと思ったことがやはり大きかった。


ふたつめは、実際に私が声を上げ、そんな存在がここに一人でもいることを知ってもらうことから始めなければ、私の掲げているような未来は実現しないと思ったからだった。

実際、私は今まで家庭環境のことでとても長く悩んでいて(現在も進行しているのだが)本当にとても辛くて、お医者さんのお世話にもなって、しにたいを通り越してもう誰の記憶にも残らないようにこの世界から痛みも苦しくもなく自分の存在を消してしまいたいと思ったとき、「誰か助けてほしい」と悲痛な声をあげようとしたけれど、人に遠慮したり、信頼して話せる人が近くにいなかったというのもあり、自分のことを話すことができなくて、誰にも助けを求められなかったことがある。

そんな切羽詰まった状況の中、誰かに助けてほしいと思う気持ちは心からの声だったと思う。

そんな経験を何度も何度も繰り返して、今は自分と向き合うことにも挑戦しているまでに成長した(と思いたい)私から、そんな気持ちになった人に、なにかできることはないだろうか。向き合えるようには、ならないだろうか。

そんなふうに思ってるだけでは、そんな未来は実現しない。こうして私一人でも、声をあげていかないと一向に相手には伝わらない。

誰かが勇気を出して声をかけてくれるのを待つんじゃなくて、私から声をあげて存在を示さないと。


存在を知ってもらったり、声をあげたり。理想の未来を実現していくために、私は、まずは情報発信という手段を選んでいく。

結局私は人が好きで、人と関わることがしたいのだと、今強く実感している。

いまこうして踏み出した一歩から、たった一人のあなたに寄り添っていけることにつながるのかはまだわからない。


それでも私は挑戦したい。


一緒に考えていく人は、ここにひとり、いるからね。


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