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読書感想文(蠅の王)

一応文学部出身なのだけれど、いわゆる教養として読んでおかなければいけない本を大体パスして生きてきた。このままだと「恥の多い生涯を送ってきました。」と手記に残さなければいけなくなってしまうなと思い、ちゃんと古典を読んでおこうと思い、『一九八四年』を去年読んだりした。

そして、ダースレイダーさんが配信で「中学生の頃に『蠅の王』を読んだんですけど~」と言っていたのを聞いて、ああそれ読まなきゃいけないりすとに入っている奴だと思い出したので慌てて購入した。ちなみに新訳版の方です。

「蠅の王」がベルゼブブであることは知っていたけれど、大分思っていたイメージとは異なっていた。「蠅の王」を中心に狂気が生まれるというシチュエーションスリラー的なものを想定していたのだけれど、もっと人間の根源的・潜在的な暴力性が孤島というシチュエーションによって暴露される、こういっては何だけれど自分には素朴な作品に感じられた。これは訳者あとがきにもあったけれど、『漂流教室』などのフォロワーとなる作品に触れてしまっていることも原因だろう。

さらに訳者あとがきを読んでなるほどなと思ったのは、「少年の無垢と正義感」、「イギリス人の高潔さと優秀さ」(あるいは"白人の責務")に対するアンチテーゼであるという点で、『一九八四年』では感じなかった「他人事感」の正体が分かった。小学校高学年に地下鉄サリン事件、そしてほぼ同世代の人間が起こした神戸連続児童殺傷事件などを経験している自分にとって、「人間や子供は凶悪で当然なもの」という認識は残念ながら自分に植え付けられてしまっている。だからこそ善良な人間や良き友に出会えた時の美しさは、全てのものに感謝する必要があると思っている。

後は、「そんなに少年たち生き延びられるか?」という疑問が純粋に浮かんでしまう。人数感の把握とかがかなり難しく、情景が自分には浮かびづらい小説だったのだけれど、それをさておいても、飲み水の確保やら不注意からの怪我はもっと多く発生しそうで、当時の少年たちがそれくらいのサバイバル能力を持っていたと言われてしまえばそれまでだが、そこが読んでいる間中ずっと気になってしまった。少年たちのうちにある純粋な邪悪さを際立たせるということなら、もっといい装置があったのではないかと思ってしまう。

何となく、全体的に「ダークなジュブナイル」以上の感想を自分の中では越えられなかったところはある。あともう一つ注文があるのだけれど、結末に関する重大なネタバレがあるので少し改行を付ける。








読み終わって、一番の物足りなさを感じたのは、「イギリスに帰った少年たちはどうなったのか?」が全く描かれていないことだった。

「どうやって話を収束させるのだろう」と思っていたところ、ここまできれいなデウス・エクス・マキナが見れるとは思っていなかったので、そこは逆にネガティブには感じなかったのだけれど、ここまで少年たちの邪悪さをオープンにしたのであれば、それが文明都市に帰った後どうなるのか、を書くのはこの作品において責務があるだろう、とは思い、そこは非常に不満だった。「それでも人は文明に帰れば邪悪さを押し込めて生きていける」なのか、「一度発露した邪悪さはもう収まらない」なのか、作者がどういった人間観を抱いているのかは明示する必要があるのではないだろうか。

手がかりとしては、これもまた訳者あとがきになってしまうが、ゴールディングが演劇版を少年たちが演じるのを見たときの感想で、恐らく、ゴールディング自身も人間が完全な性悪ではないか、恐らく何らかの形でブレーキを掛けられるという信念はあって、そこに「文明」の可能性を感じてはいるのだろう。だからこそ主人公はずっと善性をどこかに保持した姿で描かれ続けている。そこをすっ飛ばして、「やはり人間は邪悪性が根本にある」というようなレビューをうのみにするのは、この本の大事な部分を捨象してしまうように思う。ということで、ちゃんと読むことの価値はあってよかった。

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