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不安を抱えて就活をはじめた皆さんに、リーマンショック時代の元就活生より

4月8日、日本には緊急事態宣言なるものが出されました。

今年はこのような状況下で、就職活動をはじめる学生の皆さん、新社会人となった皆さん、そして不幸にも内定取消をされてしまった既卒の皆さんなど、さまざまな感情を抱えて新生活のスタートを切った方が多いのではないかと思います。

特に、新卒・既卒を問わず、これから就職活動をはじめる皆さんは、本当に就職できるのかと大きな不安を抱えている方も少なくないのではないでしょうか。

わたしは、リーマン・ショックの翌年、不況のど真ん中で就活生でした。
前年までの新卒売り手市場から一転、かなり厳しい就職活動を強いられた世代です。新型コロナによる世界的な不況は、リーマン・ショック以上だといわれていますが、わたしの世代と共通する部分もあるのではと思い、あの時代の元就活生が、どのような選択をした結果、今に至るのかを、1つのサンプルとして書いてみようと思います。
※10数年前の話なので、記憶が曖昧なところがありますが、そのあたりはご容赦を。

どんな学生だったか

わたしは国際基督教大学(以下ICU)の出身です。
ICUの学生はよく学ぶといわれています。大半の学生はそのとおりですが、わたしはだいぶ落ちこぼれな部類でした。(大学は全然楽しくなかったし、英語は嫌いだった。)

というのも、写真をやりたくて大学と並行して夜間の専門学校に通っていたので、そっちの方がどんどん楽しくなり、将来もこっちの道に進めたらいいなーと真剣に考えるほどでした。

とはいえ、日本の就職市場における『新卒』のカードは最強です。
最強カードを持っているうちにいい会社に就職した方がいいのか、そのカードを捨ててでも好きな道に進むかは悩んでいました。
どちらかには決められないまま、会社に就職するってどんなものなのかを知りたくて、とりあえず、夏のインターンシップに応募してみる、というところからわたしの就活はスタートしました。

大手広告会社での夏のインターンシップで挫折

当時の学生インターンシップは、今ほどは定着しておらず、大手企業が開催というものが多かったように思います。それゆえか、選考も本番なみに4次くらいまでありました。

わたしの場合、企業に入社をするとしても、できるだけクリエイティブなところの近くにいたいとはぼんやりと思っていたので、安直ですが、インターンはマスコミ業界に絞って受けました。

広告とかテレビ局とかで5〜6社受けて、なぜか最大手の広告会社のインターンに受かりました。ほかは全滅(しかも書類とか一次で落ちた)だったのでなんでここだけ受かったのかは今でもよくわかりません。

選考過程は、たぶんこんな感じでした。
1)エントリーシート(作文とかの課題がたくさんあった)
2)筆記試験(クリエイティブ試験的なやつ)
3)グループディスカッション
4)集団面接(結構エライ人たち4人くらいと学生4人くらい?)

合宿もあったり、テレビで見ている広告をつくった人たち(社員)が毎日代わる代わる講師に来てくれ、コピーをつくったりする課題をやって直接講評してもらえるという、充実したスケジュールが用意されていました。

にも関わらず、インターンを受けてみて思った率直な感想は、宗教みたいだなということ。
みんな◯通が大好きで、電◯の社員を崇拝している感じに恐怖すら覚えました。え?就職するってこんな感じなの??と、その雰囲気についていけず挫折感に打ちひしがれました。

そしてインターンが終わるのと同じ頃、リーマン・ショックが起きました。

大人になって冷静に考えてみればわかるけど、わたしの場合は、インターン先の選び方が間違っていたと思います。やっぱり広告業界を目指す学生にとっては最高峰の憧れの企業だと思うので、あの雰囲気も理解できます。
なので、わたしのような会社で働くってどんなもんかな?っていうのを知りたくて参加するインターンではなかったんだろうと思います。

いよいよ本番の就職活動は本格的に迷走

インターンの挫折感と、世の中の不景気感が相まって、就活やりたくない感が強く、ものすごい重い腰で就職活動をはじめました。

不景気の波から、マスコミだけでなく、学生時代に不動産会社でバイトをしていたという理由でデベロッパーも数社受けたし、両親ともに電気機器メーカー勤務だったので、そういう類も受けたりと、まったくちぐはぐな業界を横断して応募していました。

でも一貫していたのは、すべて大手企業だったということです。それは、就活市場における「新卒」という最強カードが最強であるのは大手であるがゆえだと思っていたからです。今でこそ、大手も中途採用に力を入れる企業が増えていますが、当時は途中からでは入れないという印象が強かったように思います。まずは大手を受けて、その結果次第で、応募先を広げようと考えていました。

一方で、写真の道というのも捨てきれず、大学生が行う一般的な就職活動と並行して、アポイントを取り付けて写真家に会いに行くというのをやっていました。自分の作品をまとめたポートフォリオを持って、アシスタントとして雇ってください、と、お願いするという活動です。

不景気の空気感はとても強く、採用人数を絞る企業が多いという噂があったりして、一般的な就活の方では内定が出なかったらどうしようという不安が常にありました。そして、写真の方も、美大出身でもないので、こちらは本当に厳しくて、門前払いも多くまったく感触のない日々でした。

そんな中、ふつうの就職活動の方で先に結果が出ました。映画会社から内々定をもらえて、当初志望していたクリエイティブに近い仕事だったので、ここでふつうの就活は終了しました。内々定をもらったのはこの1社のみです。

わたしは、少ない方だったとは思いますが、30社くらいはエントリーシートを書いたと思います。ちなみに、インターンのときの選考でもそうだったのですが、クリエイティブ試験や、小論文など、企画要素や文章作成のようなものが選考過程にあると、その企業の選考はいいところまでいきました。逆に、集団面接は、その集団の中での立ち位置を考えてしまってとても苦手でした。そのため、書類や筆記は足切り程度で、面接を重視するようなメーカー系は全然ダメでした。

大手の内定を辞退して選んだ就職先がなくなる

新卒の就活は終了したけど、写真の方のアシスタント職探しは続けていました。そうしたら、夏にアシスタントしての就職先が見つかりました。そのときのわたしは、なぜかまったく迷わずに、映画会社の内定を辞退して、写真の道を選びました。今だったら、そんな不景気な時代にもうちょっとよく考えなさいよ、と思うのですが、その当時のわたしは大手企業に就職することへの抵抗感がどうしても拭いきれなかったこと、そして、好きなことを仕事にできるということが何物にも代えがたいものに感じていたんですね。

両親がそれぞれ大手企業勤務で、国内外で転勤はあるし、仕事は仕事と割り切るような働き方をしていた姿を見ていたこともあり、好きなことを仕事にするということへの憧れが人一倍強かったのだろうと思います。

でも世の中、うまくいかない時って本当にうまくいかないものです。

卒業前からアルバイトという形で仕事をはじめていたのですが、ある日突然(卒業間近)、その内定先がなくなってしまったのです。いろいろな事情はあったのですが、おおまかにいうと不景気による事業閉鎖でした。

もう晴天の霹靂ですよね。
泣いてもどうにもならないんだけど、開き直って笑うこともできず。

新卒の最強カードはもう手元にないし、内定先もないまま、日本の就活市場でもっとも厳しい既卒になってしまいました。
正直、この頃の記憶はまったくありません。記憶がぽっかり抜けているような感じで、相当な衝撃だったんだと思います。

営業研修ができる人材会社から今の会社と出会う

しばらくぼーっとしていて、やっと立ち直ったときにはもう梅雨でした。
もう一度写真で仕事を探そう、という気持ちにはどうしてもなれず、どこでもいいからふつうの会社に就職したいという思いに至りました。

今はどうかわからないですが、既卒の就職活動って本当にどうするべきかわからなくて、インターネットでいろいろ調べていたら、2週間くらい営業の研修をしてくれて、研修後に就職先を紹介してくれる人材紹介会社を見つけました。どうせやることもないしなーという軽い気持ちで参加しました。

ちなみにその営業研修はすごく体育会系で、もう◯通のインターンと同じくらいの宗教っぽさがあったけど、インターンと違っていたのは、その宗教っぽさを演出していたのは講師側の方が強く、参加者は、既卒もいれば、第二新卒も、フリーターから正社員を目指す人もいて、バックグラウンドが多種多様だったせいか、信者っぽくなる人ばかりではなく救われた気がします。

2週間の研修を無事に終えると、複数の会社と研修生による集団面接会に参加できます。
回転寿司のようにすべての会社を研修生が順番に回っていき、自己PRをして5分程度の質疑応答で、会社側はほしい人材を選び、研修生側は行きたい会社を選びます。マッチングしたら、次の個別面接に進むという流れでした。

そこで3社ほどマッチングをして、そのうちの1社が、今の勤務先であるメディアコンテンツファクトリーです。

それまでメディアコンテンツファクトリーという会社は1ミリも知らなかったし、当時の主力商材のデジタルサイネージというサービスがあることも知りませんでした。さらには、医療なんていうものにまったく興味もなかった。

本社所在地も福岡だし(東北出身者からすると、九州はかなり遠いというイメージしかない)、社長は30代前半の外資コンサル出身のイケイケ風だし、大丈夫なのかな?という不安の方が大きかったです(笑)

なぜそんな会社に就職を決めたかというと、面接で話した社長と副社長が、それまで出会った中小企業の人とは全然違っていて、この人たちと一緒に仕事をしたら面白そうだなと思ったからです。本当にそれだけの理由でした。

既卒での就活で受けた会社はほとんど中小企業で、それも100人未満の小さい会社が多かったのですが、そういう会社の社長って現場叩き上げのお父ちゃん、という感じの人が多いなと個人的に感じていました。考えるよりもまず行動、現場での経験が大事、新入社員も一段一段叩き上げてやるからな、俺についてこいよ!みたいな。

それにはちょっと違和感がありました。
それは、わたしが、広告会社のインターンに受かったのも、映画会社から内々定をもらえたのも、(自己分析からすると)考えることが好きということが評価されたからだと思っていたからです。考えるよりまず行動、というカルチャーは、きっと向いていないだろうと直感で思っていました。

ちなみに、いっときもてはやされたベンチャーはリーマンショックで軒並み下火になり、既卒の社会人経験がない人間を面接で受け入れてくれたのは、ほとんど中小企業でした。勢いはあるけど起業して数年の会社より、規模は大きくなくても10年以上続いている会社の方がいざというときに安定感があるんだなと学びました。だから、コロナ以前に多額の資金調達をして勢いのあったスタートアップは、今後、要注意だろうと個人的には思っています。

王道から外れてもそんなに悪くない新生活がある

インターン〜新卒の就職活動の内々定までは王道を歩んでいられましたが、内々定を蹴ったあたりから、一般的な学生とはちょっと外れた道を歩んできました。大手に就職しなかったことで、後悔してるでしょって言われることもありますが、個人的にはそんなに強く後悔していることはなくて、あっちを選んでいればなと思う部分と、こっちを選んでよかったなという部分とが混在しています。

条件面(年収とか福利厚生とか)は大手の方がよかっただろうと思いますが、自分がやりたいと思えることを実現していけるという意味では、今の会社を選んで正解だったといえます。(性格的にはこっちが向いていた)
その正解に出会えたことは本当にラッキーだったと思うし、「よくわからないけど、おもしろそう」という自分の直感を信じて、思い切って飛び込んでみて良かったなと思います。

よくいわれますが、就職は「ご縁」です。就職活動で出会える企業の数には限りがあります。その中で自分に合う企業と出会えることは奇跡に近いのかもしれません。面接のときにはいいなと思っても、いざ入社してみたらやっぱり違ったなんていうことはよくあることだと思います。でも、それは、思い切って入社してみないとわからないことでもあります。ダメだったら辞めればいいのです。無責任に聞こえるかもしれませんが、わたし自身、今は採用する側として人の就活に関わっていて思うのは、転職回数は経歴の大きな傷にはならないということです。だから、今まで目指してきた道とは違うから、と躊躇してしまわずに、視野を広げて挑戦してみてほしいと思います。

おそらく、コロナ以前とコロナ以後では、仕事に対する価値観も大きく変わるだろうと予測しています。今の王道が王道じゃなくなるほどの大きな変化かもしれません。それは、就活生だけではなく、すべての人に関わってくることで、わたし自身も内心ドキドキしています。でも、そんな変化を乗り換えた先の新生活ってどんなだろう、と、こんな時だってワクワクしてみてもいいんじゃないかと思うんです。

王道の就活を突き進むもよし、自分がやりたいことを貫き通すもよし、視野を広げて今まで見ていなかったところに目を向けてみてもよし。
自分なりに考えて進んだ道の先には、そんなに悪くない景色が広がっているのではないでしょうか。前に進もうと今もがいている皆さんに、過去にもがきまくった一人の社会人から、ささやかながらエールを送ります。


#新生活に向けて

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