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赤塚先生の人生を思うと、人間の(人生の)謎の一端に触れた気がする

 フジロックではなく、フジオロック。赤塚不二夫、フジオロックフェスティバル 2018 に行った(@恵比寿ガーデンパレス)
 主な目的は、Beatniks(高橋幸宏+鈴木慶一)や矢野顕子のステージだったのだが、ここでは赤塚不二夫先生の漫画について書こう。
 赤塚先生の漫画は、子供のころ、「天才バカボン」「もーれつア太郎」「おそ松くん」「レッツラゴン」など、「少年マガジン」や「少年サンデー」で毎週愛読した。これは、当時の男の子のほとんどがそうだった気がする。
 ところが、あるとき、「山田一郎」というペンネームで描き始める。理由は、漫画は、名前で読まれるべきではない、ということだったように記憶している。当時の掲載誌にそう書いてあった。でも、絵は、赤塚先生のままだ。「山田一郎」が赤塚先生の絵をぱくって、漫画を描いている、と勘違いされないだろうかと子供心に思った。
 そのうちに、また名前が元に戻り、やがて赤塚先生の漫画は、少年誌の紙面から消える。オトナの雑誌に移ったのだ。少年の私は、ごく自然に赤塚先生の漫画から遠ざかった。
 その後、赤塚先生は、ステージパフォーマンスに傾倒し、自身も出演するようになる。このひとは、漫画で笑わせるだけでは飽き足らず、自分自身が笑いになりたいのではないか、と思った。そのほうが、人を笑わせる、という快楽が直接、肉感的に響いて、心地よいのだろう。

 「晩年はアルコール依存症に苦しめられるが、酒に溺れた原因は極度の恥ずかしがり屋であるため、酒なくして人と向き合う事が出来なかった事と自己分析している。なおアシスタントだった古谷三敏によると、若い頃は一滴も飲めなかったという」

 とウィキペディアには、書いてある。
 また、トキワ荘時代、赤塚先生は、共作すると、背景を進んで描くような内気な青年だった、と回想する文章を読んだことがある。
 若いころには、内気で、強度の恥ずかしがり屋で、酒が一滴も飲めなかった男が、作品が大ヒット後、漫画だけではなく、ステージパフォーマンスにも傾倒、出演し、アルコール依存症になるまで酒に溺れる。
 どちらの男が、本当の赤塚先生なのだろう。
 赤塚先生の人生を思うと、人間の(人生の)謎の一端に触れた気がする。

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