小説は、誰に向かって書かれるのだろうか?
「アナログガール」(櫻門書房)という本を出した。中・短編小説を集めた本である。そのなかの「コクー」という小説に、カバという登場人物がいる。小説は、100パーセント、フィクションである。ただ、このカバという名前は、実在の人物から拝借した。当時勤めていた職場のアルバイトの名前である。
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小説は、誰に向かって書かれるのだろうか?
いや、それは問いかけとして、間違っている。
前提として、小説は、万人に向かって開かれているべきものだから。
ジャンル小説というそのジャンルが好きな読者だけに向かって書かれる小説もあるが(たとえば、本格ミステリとかSFとか)、それでも読者が一人だけ、ということはないだろう。
小説の在り方として、そういう書き方をするのは、どうなのか。
でも、そういう書き方をした小説が、私には、ある。
十年ほど前のことだ。
そのころ、私は、迷い道にいた。渡辺真知子状態だった(とある70年代のポップスのタイトルだが、わからないひとにはわからなくてもいいです)。
文芸雑誌の新人賞に応募しても、賞を取れない。受賞しなかった小説は、誰にも読まれない。
読まれない小説は、ゼロである。ゼロ。私には、身近で、親しい数字だった。
ネットで小説を書くことが、まだ普及していない時代である。
ケータイ小説はあった。「恋空」「赤い糸」が大ヒットしていた。「恋空」を読んだ。でも、これはないなあ、と思った。
映画も観た。高校生のガッキーはすごくかわいかったが、やっぱり、これはないなあ、と私は思った。
ケータイ小説を書く気にはなれなかった。
当時、私は、大学図書館に勤務していた。読書好きのアルバイトがいた。筋肉隆々の、長身の男だった。三十代半ばだろう。おれは大学の元野球部の選手だ、といった。かれが好きな小説は、ミステリや冒険小説であり、私の趣味とはちがっていた。だが、読書の話から親しくなった。
私は、かれに、「早稲田文学」に掲載された私の過去の作品を見せた。「面白い」といった。私は、調子に乗って、次々と見せた。
「おれの好みの小説です」
かれはいった。
私は、かれがもっとよろこんでもらえるような小説を書きたいな、と思った。読者は、かれ一人でもいい。
まず思いついたのは、小説の主要登場人物の名前をかれの名前にすることだった。
その話をかれにすると、名誉なことです、といった。
それならば、と私はかれのイメージを人物に投影した小説を書いたのである。
それが、中・短編集「アナログガール」に収められた「コクー」だ。
かれはカバと呼ばれていた。動物のカバに似ているからではない。名前の一部にカバが入っていたからである。
こうして登場人物、カバが誕生した。
小説の中で、カバはこのように語られる。
二十九歳で、フリーターだ、とカバはいった。都内のフラワーショップで働いている。
中学生のとき、足が速く、短距離走で学年いちばんのタイムをはじき出したことがある。
体育の教師は陸上部をすすめたが、好きだった野球部に入部した。野球部ではエースだった。スポーツ推薦で、高校、大学と進学した。高校のときは甲子園に出場して準優勝を果たした。スポーツ推薦というのは、チームをリーグ優勝に導くための貢献をしなければならない。そのプレッシャーに負けそうになりながら精進した。大学三年のとき、致命的に肩を壊し、退部せざるを得なくなった。スポーツだけをやって生きてきた、自分の人生は完全に終ったと心底思った。なんとか単位を取って、大学は卒業したが、就職はせず、フリーター生活を送っている。カバはそんなことを一気にしゃべった。その話を証明しようとするかのように腕まくりして、その太くたくましい腕をナギに見せた。
実際の年齢は、三十半ばだと思うが、小説では、夢を捨てきれない二十九歳という設定にした。
こまかいことは、フィクションでくるんでいるが、大方はそのとおりである。フラワーショップも事実である。昔、表参道のフラワーショップで、バイトしていた、といっていたのだ。
その設定以外は、すべてフィクションだった。
私は、パソコンで小説を書き、プリントアウトした「コクー」を読ませた。
「自分の名前が出てくると、やっぱ、惹き込まれますよ。身を乗り出して、読む感じになります。すごい面白かったです。それに、カバ、かっこいいですね。最高です」
とカバはいった。
最後のせりふは、文学的な感動とはちがうかもしれないが、それでいいのだ、と私は思った。
読者は、ほかにいないのだから。
ある日、カバが私にいった。
「バイト、辞めたいんです」
「で、辞めて、どうするの?」
「おれも、いつまでもこのままというわけにはいきません。歯科技工士になるための学校に行きたいと思うんです」
止める理由はなかった。かれは去っていった。
辞めると決まってから、ラーメンを食べにいった。ラーメン二郎である。土曜日の午後、勤務地に近い、神保町の二郎に行った。売り切れだった。
仕方がなく、東池袋の二郎に行った(いつか、いっしょにラーメン二郎を食べようと、長いあいだ、約束をしていたのだ)。
カバは、からだもでかいし、よく食べる。最大級の二郎にしてやろう、と私は思った。
大盛りにして、金額的に足せるものは、すべて足した。その上で、すべてをマシマシにした。そのどでかいラーメンが出てきたとき、店内で、ほーっとため息のようなものが洩れた(ような気がする)。
二郎で、千二百円を払った(ような気がする。当時、何を足したらそうなったか、じつは、よく覚えていないのだ)。もちろん、私のおごりである。
カバはがつがつと食べた。すべてたいらげた。
「もう食えない。ぱんぱんだ」
カバはそういった。
「横浜に用事がありますので」
東京生まれ、東京育ちカバはそういい残して、池袋駅に消えていった。
カバとは、その後、メールで何回かやりとりをした。メールの最後に、まるで自分のサインのように、いつも「ゴッドハンド」と書いていた。歯科技工士見習いだからだろう。私は小さく笑った。
ある日、携帯のアドレスにメールをしても、返信がこなくなった。
理由はわからない。数回、メールしたが、どれも音沙汰がない。ああ、これはもうメールがこないな、という嫌な予感がした。そのとおりになった。
以後、音信不通である。
数年後、「コクー」が収録されている「アナログガール」が出た。カバにそのことを伝えたいと思ったが、伝えられない。献本したいと思ったが、できない。
連絡先を知らないのだから。
東京の空の下、カバはどこかで生きているだろう、と私は思う。
私自身、あの大学図書館にはもういない。異動があり、べつの勤務地に移った。
時間は流れ、ひとの人生は変転する。
どこかで、偶然出会ったら、
「ほらこれ。あのときの小説が本になったよ」
といって、「アナログガール」をプレゼントしたい。
よろこんでくれるだろうか。
よろこんでくれたら、うれしいと思う。
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