ワタシたちの思い出
その私立の女子高校に行ったのは、たまたまだった。商談ではない。知り合いの先生(女)がいたのだ。まあ、いわゆる野暮用というやつだ。用件が終わり、帰る段になって、私は、ふと思いついて、口に出していってみた。
「図書室を見せてもらえませんか?」
何度か、お願いした経験がある。断られたことは、ない。私にとっては、マーケティングの一環である、ともいえる。いまどきの女子高校生が、どんな本を読んでいるのか、知りたいのである。(無名の)小説を書いている身としては、当然のことだ。期待がふくらむ。文学好きの女子高生がいるのではないか、と。
が、期待にこたえられたことは、ない。
いまどきの高校生は、文学を読まない。村上春樹さんすら読まない。ラノベしか読まない。それでも、聞いてみたいのである。砂丘のなかに落ちている一粒の金を捜すような気分だ。
その図書室で、その新聞を見つけた。図書委員会新聞と銘打っている。 B4表裏にカラー印刷しただけの新聞である。立ち止まるように、私は、ちょいと読んでみた。
一読、興味深いと思った。
「面白い」
と私はいい、その知り合いの彼女に、誰が書いたのか、と尋ねた。
教えてくれなかった。
今度は、noteに転載させてもらえないか、と聞いてみた。ねたを捜していたのである。作者が自分ではないことは、まえがきで、ちゃんと断る。
これは、即OKが出た。
作者の許可はいらないのか、と聞くと、「大丈夫だろう」と彼女はいった。
「どうして?」
「大丈夫だから、大丈夫よ」
ひょっとしたら、作者は、彼女自身なのでは、と私は思ったが、彼女は微笑しているだけだった。
ただし、高校名は出さないでほしいといった。私は了承した。
まあ、いい。転載の許可はおりた。
以下がその文章のすべてである。小説だと思う。
なぜなら……。それは、読んでからのお楽しみである。
タイトルは平凡だ。「ワタシたちの思い出」
*
ワタシたちは長いあいだ、ここにいる。
ここにいて、ものごとの移り変わりを見ている。
ワタシたちは本が好きである。本には、手触りがあり、においがある。思い出がある。これは、電子書籍にはない美点だと思う。
図書館の入口にある、丸テーブルに新刊本が置かれると、生徒がわっと群がる。校長先生の寄贈本も並べられた。
ここはエアコンが入っているが、急にはあたたかくはならない。特に、今年の冬は寒かった。
冬が終わると、春がまたくる。中庭のベンチは、砂でざらざらしていることだろう。体育館の床もざらざらしているかもしれない。
卒業の季節である。
本が好きで、ばたばたと足音をたててはやってきていた生徒の一部は、こなくなるだろう。失われたわけではない。すうっと翼がはえて、巣立っていったのだ。そういえば、ここにきて、目を輝かせて本を捜し、しょっちゅう借りていた数学の先生がいた。来年はこなくなる、という。
定年退職だそうだ。
先生が学校からいなくなるなんて、考えてもみなかった。先生はいつまでも学校にいるものだ、と思い込んでいたのである。
生徒が卒業して、数年後、何かのきっかけで、学校にやってきても、先生はいない。
失われたわけではない。すうっと翼がはえて、巣立っていったのだ。
ワタシは、誰か? いつも図書室にいる。みんなが読んだ、あるいは読むであろう本を載せている。ブックトラックである。
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