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あとがき  この程度なのかと問われれば、はい、この程度です、と胸を張ってこたえられる小説

 11月1日に私の新作小説「切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ」が発売される。これは、そのあとがきである。発売に先立って、投稿する。

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 「切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ」を書くきっかけは、数十年前にさかのぼる。当時、職場に元大学野球部の男がいた。がたいのいい、背の高い男だった。大学もスポーツ推薦の枠で入った、といっていた。母親はオリンピックの選手だったという。
 野球部のピッチャー、エースとして、将来を嘱望されていたが、途中で肩を壊して、リタイア。大学は何とか単位を取って、卒業したものの、アルバイト生活を続けていた。
 肩のことがなければ、プロ野球の選手になれたかもしれない、と夢見るように語った。そのときの憂鬱と輝きが入り混じった複雑な表情をいまでも覚えている。ときどき思い出す。ミステリや冒険小説が好きで、読んでいる小説の話をよくした。意外に読書家だった。
 私が小説を書いていることを告げると、うれしそうな表情になり、打ち解けるようになった。
 ある日のことだった。
「野球小説は書かないのですか?」
 その男に尋ねられた。
「興味がないのだけれど」
「野球をやったことはないのですか?」
「草野球なら、子供のころやっていた」
「ぜひ書いてくださいよ」 
 ぜひといわれても、と私は思った。
「簡単には、書けないよ」
 数十年前のことである。いまでは、おそらくそれをいった本人すら、忘れているだろう。しかも、その男は、すでにバイトを辞めている。消息がつかめない。
 それでも、その種子は、私の頭の片隅のどこかに埋まっていた。気がつくと、種子が割れ、芽を出し始め、やがて枝がのび、わさわさと葉が繁り出した。
 私は野球小説を書き始めることにした。

 その男が東京(東京生まれなので、おそらく東京に住んでいると思う)のどこかで、この本を偶然見つけ、あれっ、これってひょっとして、バイト先のあのひとが書いた小説? と思い、読んでくれたら、と願う。
 そんな偶然が起こったら、うれしい。
「リクエストの小説が、ようやっとできました」と、私はいいたいのだ。

 もっとも、おれがリクエストしたのは、こんな小説ではない、といわれるかもしれないけれど。なにしろ、最初から最後まで高校の野球部が舞台なのに、野球小説でいちばん盛り上がるはずの対外試合が、たったの一回も登場しないのだから。

 全力で書いた小説だ。それで、この程度なのかと問われれば、はい、この程度です、と胸を張ってこたえられる。そういう小説である。

 なお、最後になったが、「アラフォー女子の厄災」のあとがきの冒頭で書いた「比較的長い小説」というのは、この小説のことである。

                            緒 真坂 


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